三田文学(読み)みたぶんがく

精選版 日本国語大辞典 「三田文学」の意味・読み・例文・類語

みたぶんがく【三田文学】

文芸雑誌。明治四三年(一九一〇)五月、永井荷風中心森鴎外上田敏顧問として創刊。慶応義塾大学文学部の三田文学会機関誌で、創刊時は耽美主義的色彩が強く、「早稲田文学」の自然主義に対立した。久保田万太郎水上滝太郎佐藤春夫らが輩出。昭和期に雑誌の性格は変わるが、断続しつつ現在に至る。

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デジタル大辞泉 「三田文学」の意味・読み・例文・類語

みたぶんがく【三田文学】

文芸雑誌。明治43年(1910)5月、慶応義塾大学文学部の三田文学会の機関誌として、永井荷風らを中心に創刊。耽美的色彩が強く、自然主義文学系の「早稲田文学」と対立した。久保田万太郎佐藤春夫水上滝太郎西脇順三郎らが輩出。断続しつつ現在に至る。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三田文学」の意味・わかりやすい解説

三田文学
みたぶんがく

文芸雑誌。1910年(明治43)慶応義塾大学は不振の文科刷新のため、永井荷風(かふう)を教授に迎え、その5月、森鴎外(おうがい)、上田敏(びん)を顧問に、荷風を主幹として『三田文学』を創刊した。荷風主幹時代は15年(大正4)までであるが、この間、鴎外(『花子』『沈黙の塔』『妄想』)、敏、荷風(『紅茶の後』『新橋(しんきょう)夜話』『日和下駄(ひよりげた)』)のほか、馬場孤蝶(こちょう)、泉鏡花(『三味線堀』)、木下杢太郎(もくたろう)、北原白秋(はくしゅう)、吉井勇小山内薫(おさないかおる)、谷崎潤一郎、与謝野鉄幹(よさのてっかん)・晶子(あきこ)らが寄稿。耽美(たんび)的色彩の濃厚な反自然主義的傾向を示し、久保田万太郎、水上滝太郎(みなかみたきたろう)らの三田派の作家も誕生した。ついで沢木梢(こずえ)が主幹となり、南部修太郎、小島政二郎、西脇順三郎、勝本清一郎らを送り出したが、25年3月終刊。翌年4月大学の直接経営を離れ、水上を精神的主幹として復刊。杉山平助石坂洋次郎(『若い人』)、矢崎弾(だん)、原民喜(たみき)、北原武夫柴田錬三郎、丸岡明らが引き続いて登場した。44年(昭和19)11月休刊。第二次世界大戦後は46年(昭和21)1月丸岡明を中心として復刊。木々高太郎、佐藤春夫らを経て、加藤道夫(『なよたけ』)、堀田善衛(よしえ)、安岡章太郎(『ガラスの靴』)、遠藤周作、江藤淳(じゅん)(『夏目漱石(そうせき)論』)、山川方夫(まさお)らが巣立った。76年10月休刊。85年5月に季刊として安岡らを中心に復刊され、遠藤、江藤、坂上弘(ひろし)に引き継がれている。

[千葉俊二]

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改訂新版 世界大百科事典 「三田文学」の意味・わかりやすい解説

三田文学 (みたぶんがく)

文芸雑誌。1910年5月,永井荷風が主幹となり,森鷗外,上田敏を顧問に迎え,慶応義塾文科の機関誌として創刊。自然主義の《早稲田文学》に対立して耽美主義の立場をとり,当代の反自然主義陣営の一大拠点となった。荷風の《紅茶の後》《日和下駄》,鷗外の《妄想》《灰燼》,泉鏡花の《三味線堀》などをはじめ,《スバル》《新思潮》系の人々の作品が載り,その中から,久保田万太郎,水上滝太郎,佐藤春夫らの〈三田派〉新人が登場した。1925年3月休刊。翌26年4月水上滝太郎を精神的主幹とし,勝本清一郎らが編集にあたり復刊された。勝本,杉山平助,矢崎弾,山本健吉らの評論家,石坂洋次郎(《若い人》),北原武夫,丸岡明らの小説家が登場。1944年11月休刊。戦後は1946年1月丸岡を中心として復刊。その後何回かの休・復刊をくり返したが,その間,原民喜(《夏の花》),加藤道夫(《なよたけ》),堀田善衛,山川方夫,安岡章太郎,遠藤周作,江藤淳らを輩出した。1985年4月,9年ぶりに復刊された。年4回刊。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三田文学」の意味・わかりやすい解説

三田文学
みたぶんがく

文芸雑誌。 1910年5月創刊。森鴎外,上田敏の斡旋で新帰朝の永井荷風を慶應義塾大学教授に迎え,同大学文科の発展を期して創刊された。「三田」は同大学所在地名。自然主義の『早稲田文学』に対抗し,耽美的,官能的色彩が強く,第1期は木下杢太郎,吉井勇,北原白秋ら『スバル (昴) 』派および泉鏡花,谷崎潤一郎らも加えて発展,久保田万太郎,佐藤春夫,堀口大学らを育て耽美派の牙城にふさわしい活況を呈した。第2期の 26年以後は水上滝太郎を中心にして三田派以外にも誌面を提供し,石坂洋次郎,丸岡明らいわゆる新三田派を生んだ。第3期は 46年復刊,丸岡明その他により断続的に発行され,遠藤周作,江藤淳らに引継がれた。 76年 10月号で休刊。 85年4月復刊。

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