三浦知良(読み)みうらかずよし

知恵蔵 「三浦知良」の解説

三浦知良

1967年2月26日生まれのプロサッカー選手。静岡県出身。ポジションフォワード。プロサッカークラブである横浜FC所属だが、フットサルクラブであるエスポラーダ北海道にもJリーグ選手枠として登録している。2012年FIFAフットサルワールドカップ日本代表。
伯父叔父、実父ともにサッカーの指導者であったため、兄の三浦泰年(元・日本代表)とともに幼少の頃からサッカーに親しんで育った。小学生のときに城内FCへ入団。その後、静岡学園高等学校を8カ月で中退し、当時のサッカー先進国のブラジル単身サッカー留学する。日本人としての身体的不足を、絶え間ない訓練の積み重ねでカバーし、ブラジルにおいて各クラブの契約選手となり、日本人として初めてブラジル全国選手権に出場。ブラジルのサッカー専門誌の表紙を飾るほどの活躍を果たした。
1990年、Jリーグ発足を見据えて帰国。読売サッカークラブ(現・東京ヴェルディ)に移籍。92年Jリーグカップで所属チームを優勝に導く。96年にはJリーグ得点王となる。93年にアジア年間最優秀選手賞を受賞。国際Aマッチ1試合で6得点は日本代表1試合最多得点記録(FIFA公式記録2011年時点)。94年にイタリアセリエAのジェノアCFC移籍、アジア人初のセリエAプレーヤーとなる。
日本代表としては、93年、第15回FIFAワールドカップアメリカ大会・アジア地区1次予選突破に貢献したものの、最終予選の対イラク戦での引き分け(ドーハ悲劇)でワールドカップ本大会への出場はならず。また、次の第16回FIFAワールドカップフランス大会では、日本代表に選出されていたが、最終メンバーからは外された。だが、その後も日本代表として89試合に出場し、55得点を挙げている(2011年12月時点)。
FIFAワールドカップでは「ドーハの悲劇」や岡田監督の指示を無視した「感情的な独断シュート」への批判など悲運な面もあるが、結果的に日本人プロサッカー選手の海外移籍、活躍を後押し、日本人プレーヤーの質的向上に貢献したといえる。「ゴール後のパフォーマンス」を日本に定着させたカズダンスは有名で、サッカーを楽しいスポーツへ進化させた意義は大きい。
日本における最年長プロサッカー選手(2012年11月時点)で、ニックネームは「カズ」「キング・カズ」など。

(菘(すずな)あつこ  フリーランス・ライター / 2012年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

百科事典マイペディア 「三浦知良」の意味・わかりやすい解説

三浦知良【みうらかずよし】

プロサッカー選手。〈カズ〉の愛称で親しまれる。静岡県生れ。高校中退後ブラジルに単身留学し,のちプロサッカー選手として活躍。帰国後はヴェルディ川崎に所属し,日本のサッカー・ブームの立役者となった。1994年アジア人としては初めて,イタリアのプロサッカー・リーグのセリエAでプレーする。1996年度Jリーグ得点王。1990年,1994年,1996年アジア大会,1994年,1997年W杯予選日本代表。
→関連項目外国人選手

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三浦知良」の解説

三浦知良 みうら-かずよし

1967- 昭和後期-平成時代のプロサッカー選手。
昭和42年2月26日生まれ。静岡学園高1年でブラジルへサッカー留学。サントスFCなどで活躍。平成2年帰国。読売クラブ(のちヴェルディ川崎)に所属し,5年発足のJリーグで2年連続優勝に貢献した。6年日本人初のセリエA選手としてイタリアにわたる。クロアチアのチームをへて,12年京都パープルサンガにはいりJリーグ初の通算100得点を達成。13年ヴィッセル神戸,17年横浜FCに移籍。27年48歳,J2最年長出場記録を更新。静岡県出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android