三浦大助紅梅靮(読み)ミウラノオオスケコウバイタヅナ

デジタル大辞泉 「三浦大助紅梅靮」の意味・読み・例文・類語

みうらのおおすけこうばいたづな〔みうらのおほすけコウバイたづな〕【三浦大助紅梅靮】

浄瑠璃時代物。五段。長谷川千四・文耕堂合作。享保15年(1730)大坂竹本座初演。特に三段目きりが有名で、歌舞伎では「石切梶原いしきりかじわら」の通称で上演される。

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精選版 日本国語大辞典 「三浦大助紅梅靮」の意味・読み・例文・類語

みうらのおおすけこうばいたづな みうらのおほすけコウバイたづな【三浦大助紅梅靮】

浄瑠璃。時代物。五段。長谷川千四・文耕堂合作。享保一五年(一七三〇)大坂竹本座初演。頼朝挙兵の際の、三浦大助義明とその一党および畠山重忠、梶原景時らの忠節を描く。特に、三段目の切(きり)が名高い。通称「石切梶原」。

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改訂新版 世界大百科事典 「三浦大助紅梅靮」の意味・わかりやすい解説

三浦大助紅梅靮 (みうらのおおすけこうばいたづな)

人形浄瑠璃。時代物。5段。1730年(享保15)2月15日から大坂竹本座初演。長谷川千四,文耕堂の合作。《吾妻鑑》や《源平盛衰記》などにみえる頼朝の伊豆挙兵の史実を背景にしたもの(源平合戦物)。(1)一段目 石橋山の合戦に敗れた頼朝は,伊豆に流され,機会を待つ。一方,106歳の誕生を迎えた三浦大助を祝って一門が集まったが,孫婿(むこ)畠山重忠だけは,平家方のため参加しない。(2)二段目 頼朝の父義朝の勘気を受けたまま死んだ八丁礫(つぶて)の喜平治の妻おかつは,強欲な紺屋又九郎兵衛と再婚する。ところが,又九は寺子屋の定右衛門(実は真田文蔵)に殺され,死に臨み喜平治の父であることを明かす。(3)三段目 文蔵は頼朝に味方する軍資金調達のため,許嫁の梢(こずえ)を傾城勤めに出そうとするが,梢の父六郎太夫は家重代の刀を大庭三郎に売ろうとして,自分の身を試し斬りしてくれと申し出る。試し斬りを頼まれた梶原景時はわざと六郎太夫を助け,大庭らが去ったあと,源氏に心を寄せていると本心を告げる。そして石の手水鉢(ちようずばち)を切り,名剣のしるしを見せる。(4)四段目 平家方の重忠は祖父大助を救おうとするが,大助は重忠に討たせようとする。しかし六郎太夫が身代りとなり,梶原に討たれる。実は六郎太夫が大助の長男だった。大助は有髪の僧となる。(5)五段目 ついに頼朝は再挙する。1730年冬,大坂で歌舞伎に移された。近年の歌舞伎では三段目切の〈石切梶原〉だけが人気を呼び《梶原平三誉石切ほまれのいしきり)》《名橘(なもたちばな)誉石切》《梶原平三紅梅靮》などの外題でしばしば上演されている。
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世界大百科事典(旧版)内の三浦大助紅梅靮の言及

【梶原景時】より

…同じ《平家物語》巻九〈二度懸〉には,次男平次景高に向かって先駆けを戒めながらも,共に敵陣に駆け入り,嫡子景季の身を案じては,みずからの危険を省みず,2度も敵中深く入ってこれを救出するなど,子を思う父の情愛が強く表現されている。近世の浄瑠璃《三浦大助紅梅靮(みうらのおおすけこうばいたづな)》(長谷川千四,文耕堂合作)は頼朝再挙のとき,忠節を尽くした三浦大助義明,畠山重忠,梶原景時を描いているが,なかでも梶原が名刀の切れ味をためす三段目切の〈石切梶原〉はとくに名高い。【岩崎 武夫】。…

【文耕堂】より

…本名松田和吉。享保(1716‐36)ごろの大坂竹本座の作者で,初めは本名の松田和吉で書いたが,1730年2月の《三浦大助紅梅靮(みうらのおおすけこうばいたづな)》(竹本座)からは文耕堂の署名となる。作品は1722年9月の《仏御前扇車(ほとけごぜんおうぎぐるま)》が古く,これは翌年の《大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)》とともに,添削者に近松門左衛門の名前があることから,近松に師事していたといわれている。…

※「三浦大助紅梅靮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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