三宅尚斎(読み)みやけしょうさい

精選版 日本国語大辞典 「三宅尚斎」の意味・読み・例文・類語

みやけ‐しょうさい【三宅尚斎】

江戸中期儒者播磨国兵庫県)の人。名は重固山崎闇斎学び佐藤直方浅見絅斎と並んで崎門(きもん)三傑と称された。忍(おし)藩主阿部正武に仕えるが、諫言などにより投獄される。のち、京都私塾をひらき多く門弟を擁した。著に「黙識録」など。寛文二~寛保元年(一六六二‐一七四一

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デジタル大辞泉 「三宅尚斎」の意味・読み・例文・類語

みやけ‐しょうさい〔‐シヤウサイ〕【三宅尚斎】

[1662~1741]江戸中期の儒学者。播磨はりまの人。名は重固。山崎闇斎に学び、佐藤直方浅見絅斎あさみけいさいと並んで崎門きもん三傑の一人と称された。のち、京都に私塾を開いて多くの門人を擁した。著「黙識録」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三宅尚斎」の意味・わかりやすい解説

三宅尚斎
みやけしょうさい
(1662―1741)

江戸中期の儒者。名は重固(しげもと)、字(あざな)は実操。播磨(はりま)国明石(あかし)(兵庫県明石市)の人。山崎闇斎(やまざきあんさい)の門にあって、佐藤直方(さとうなおかた)、浅見絅斎(あさみけいさい)とともに崎門(きもん)の三傑といわれた。武蔵(むさし)国忍(おし)の阿部家に仕官したが直言したために幽囚された。のち京都に塾を開き、経書講釈に優れ、久米訂斎(くめていさい)(1699―1784)、石王塞軒(いしおうさいけん)(1701―1780)、蟹養斎(かにようさい)(1705―1778)など多数の門人を擁し、一大学派を形成した。元文(げんぶん)6年1月29日没、80歳。京都新黒谷紫雲山(金戒光明寺)に葬られる。著述はすこぶる多く、『為学要説(いがくようせつ)』1巻、『祭祀来格(さいしらいかく)説』1巻、『黙識録』6巻(以上『日本倫理彙(い)編』所収)、『狼疐録(ろうちろく)』3巻(『甘雨亭叢書(そうしょ)』所収)、『養子弁証附録』1巻(『日本儒林双書』所収)、『為後称呼説』1巻(『日本儒林双書』所収)などは刊本がある。

[平 重道 2016年7月19日]

『池上幸二郎著『三宅尚斎先生事略』(『山崎闇斎と其その門流』所収・1943・明治書房)』『平重道著『三宅尚斎の神道批判と鬼神来格思想』(『近世日本思想史研究』所収・1969・吉川弘文館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「三宅尚斎」の意味・わかりやすい解説

三宅尚斎 (みやけしょうさい)
生没年:1662-1741(寛文2-寛保1)

江戸中期の儒者。名は重固。播磨国明石の人。山崎闇斎の門人で,佐藤直方,浅見絅斎(けいさい)とともに崎門三傑といわれた。武州忍(おし)藩主阿部家に仕官したが,直諫して藩主の怒にふれ幽囚された。後に京都で塾を開き,経書釈講にすぐれ,多数の門人を養成した。刊行された著書は《黙識録》(《日本倫理彙編》所収),《狼疐録(ろうちろく)》(《甘雨亭叢書》所収),《養子弁証附録》《同姓為後称呼説》(《日本儒林叢書》所収)等。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「三宅尚斎」の解説

三宅尚斎 みやけ-しょうさい

1662-1741 江戸時代前期-中期の儒者。
寛文2年1月4日生まれ。山崎闇斎(あんさい)門下。崎門三傑のひとり。武蔵(むさし)忍(おし)藩(埼玉県)につかえ,藩主阿部正喬(まさたか)をいさめたため2年間幽閉される。獄中の著に「狼疐録(ろうちろく)」。のち京都で塾をひらく。元文6年1月29日死去。80歳。播磨(はりま)(兵庫県)出身。名は重固。字(あざな)は実操。通称は儀左衛門,丹治。著作はほかに「黙識録」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三宅尚斎」の意味・わかりやすい解説

三宅尚斎
みやけしょうさい

[生]寛文2(1662).1.4. 明石
[没]元文6(1741).1.29. 京都
江戸時代中期の朱子学派の儒学者。名は重固,字は実操,通称は儀左衛門,丹治。京都に出て医学を学んだが,19歳のとき山崎闇斎に入門し,佐藤直方,浅見絅斎とともに崎門三傑と称された。闇斎の死後江戸に出て,武蔵忍藩に仕えたが,直諫して藩主の怒りに触れ,3年間下獄。のち京都に家塾を開き,子弟の教育にあたった。主著『黙識録』。

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旺文社日本史事典 三訂版 「三宅尚斎」の解説

三宅尚斎
みやけしょうさい

1662〜1741
江戸中期の朱子学者
播磨(兵庫県)明石の人。京都に出て医学を学び,山崎闇斎の門に入った。佐藤直方・浅見絅斎 (けいさい) とともに崎門 (きもん) 三傑の一人。江戸で武蔵(埼玉県)忍藩主の阿部氏に仕官したが,主君に直言して忍城内に幽閉された。のち放免され,京都に塾を開いた。

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367日誕生日大事典 「三宅尚斎」の解説

三宅尚斎 (みやけしょうさい)

生年月日:1662年1月4日
江戸時代中期の武蔵忍藩士;播磨明石藩士;儒学者
1741年没

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