三別抄(読み)さんべつしょう

改訂新版 世界大百科事典 「三別抄」の意味・わかりやすい解説

三別抄 (さんべつしょう)

朝鮮高麗時代,武人政権期の軍隊。左・右夜別抄神義軍の3部隊から成る。〈別抄〉は,元来,戦時に臨時に勇猛な者を選抜し組織した軍隊の意。崔氏政権の第2代執権者崔瑀(のち怡)は,国内の治安維持と政権の保全のために武力に優れた者を選抜して,夜別抄を組織したが,その比重増大とともに,左・右2軍に拡張された。1231年以後高麗はモンゴル侵略を受け,支配層は江華島に移った。夜別抄は同島防衛に当たるとともに,随時本土に出て,モンゴル軍と戦った。その段階で,いったんモンゴルに捕虜となり,逃げ帰った者で神義軍が増設され,三別抄の対モンゴル抗戦の力量強化が図られた。三別抄は,単なる崔氏の家兵ではなく,高麗の支配者たる彼らの公的軍隊であり,当時ほとんど形骸化していた伝統的な王朝軍に代わる,高麗の中央軍であった。58年の崔氏政権の滅亡後も,それが高麗の最も重要な兵力として存続し,機能していった理由もそこにある。70年,国政を武人政権から取り戻した元宗は,元への服属の意思表示として旧都開城に戻り,復都に反対した三別抄の解散を命じた。これに対して彼らは反乱に決起し,珍島,次いで済州島根拠地に,海上から南朝鮮各地,あるいは租税米輸送船等を襲い,一方南朝鮮各地の農民もこれに呼応し,蜂起するなど,高麗政府および同方面で日本侵略の準備を進める元に大打撃を与えた。しかし,73年,元・高麗連合軍に滅ぼされ,翌年,元の日本侵略が実行された。
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百科事典マイペディア 「三別抄」の意味・わかりやすい解説

三別抄【さんべつしょう】

朝鮮の高麗(こうらい)時代,13世紀の武人政権期の軍隊。別抄とは勇猛の士を集めた臨時軍のことであったが,高宗(在位1213年―1259年)の時,崔氏政権の第2代執権者崔【う】(さいう)が左・右夜別抄と神義軍の三別抄を常設化した。そのころ高麗はモンゴルの侵略を受け,政府は江華島にのがれ,三別抄は形骸化した王朝軍にかわってその防衛に当たった。1270年,高麗がモンゴルにくだった後も三別抄は従わず,全羅道珍島へ移って反抗を続けた。モンゴルは高麗と連合してこれを討ったが,三別抄は南朝鮮一帯の農民と呼応し,済州島に移って抵抗した。しかし,日本への文永・弘安の役の前年の1273年済州島が攻略され,平定された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「三別抄」の意味・わかりやすい解説

三別抄
さんべつしょう

朝鮮、高麗(こうらい)時代の軍隊。崔瑀(さいう)(初名は怡(い)、?―1249)が夜間の盗賊取締りのため驍勇(ぎょうゆう)(強く勇ましい)の士を集めて編成した「夜別抄」に起源をもち、本来は臨時組織であった。のち人員増加に伴って「左・右別抄」に分け、さらに対モンゴル戦の敗北部隊を「神義別抄」に編成して3部隊とし、常備軍化した。「三別抄」は盗賊取締りのみならず首都開城の守備にあたり、モンゴル侵入後は新都江華(こうか)の守備にもあたった。しかし、国家の公的軍隊ではなく、「都房」とともに崔氏政権を支える私兵であった。高麗がモンゴルに降伏し、江華から開城に戻ったのちも「三別抄」は降伏を拒否し、全羅南道南海岸の珍島(ちんとう)に移ってモンゴルに対する抵抗運動を展開した。この運動は民衆の動きとも強く結ばれ、南部沿岸一帯の制海権を掌握した。のちに済州(さいしゅう)島に根拠地を移し、1273年モンゴル・高麗連合軍に全滅させられた。翌年、モンゴル軍の日本遠征が行われた(文永(ぶんえい)の役)。

[吉田光男]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「三別抄」の解説

三別抄(さんべつしょう)

朝鮮,高麗(こうらい)時代の軍隊で,左・右夜別抄と神義別抄からなる。もともとは戦時の臨時的軍隊であったが,武臣政権期に常備軍化し,それまでの中央政府軍にとって代わった。高麗が江華島に都を移してに抵抗した際にも,抵抗の中心となった。1270年に国王の元宗が元への服属の証しに都を開城に戻し,三別抄の解散を命じた後も,珍島,済州島に拠って,抗戦を続けた。1273年に元・高麗の連合軍に敗れ,その翌年に元の日本侵攻が行われた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「三別抄」の解説

三別抄
さんべつしょう

モンゴル支配下の高麗で反乱を起こした崔氏政権の軍隊
別抄とは戦時に編制される精鋭軍団のことで,事実上高麗の中核をなす軍隊であった。三別抄とは神義軍,左・右夜別抄の3つの軍団をさし,元への服属を拒否して珍島,済州島を根拠地に抵抗を続けてモンゴル軍を苦しめた。元寇が遅れた大きな理由とされる。

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世界大百科事典(旧版)内の三別抄の言及

【高麗】より

…崔氏の指導の下で高麗は頑強に抗戦したが,その最中に崔氏は滅ぼされ,その後に立った武人の残党もモンゴルと結ぶ国王派に倒され,武人政権は消滅した(1270)。その後も三別抄という軍隊がモンゴルの支配に反対し,南方の島を拠点にして抗戦したが(1270‐73),モンゴルおよび高麗の軍隊に鎮圧された。当時モンゴルは高麗を基地にして日本遠征の準備をすすめていたが,三別抄の抗戦で実現できなかった。…

※「三別抄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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