朝日日本歴史人物事典 「三井八郎次郎」の解説
三井八郎次郎
生年:嘉永2.4.7(1849.4.29)
明治大正期,三井惣領家8代高福の4男。母は津尾。本名を高弘。嘉永2(1849)年5月には三井南家7代高愛の養子となり,同6年に三井南家の家督を相続。明治5(1872)年に八郎次郎を襲名した。同12年には第一国立銀行の取締役となり,没するまで勤めた。また明治34年には三井物産会社の社長となり,大正3(1914)年のシーメンス事件後に引責辞任している。三井家の規則改正に当たり,三井合名会社ができるとその業務執行社員となっているが,明治31年には帝国博物館鑑査委員を勤めるなど美術愛好家でもあった。<参考文献>三井文庫編『三井事業史』本編2巻
(賀川隆行)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報