万行村(読み)まんぎようむら

日本歴史地名大系 「万行村」の解説

万行村
まんぎようむら

[現在地名]七尾市万行町

高田たかた川と臼池うすいけ川の間、矢田やた村の東に位置し、北は七尾南湾に面する。垣内大万行おおまんぎよう上出かみで谷内やち竹端たけはながある。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文に万行保とみえ、公田数は六段(もと八町二段)で、建暦元年(一二一一)の立庄。永仁六年(一二九八)六月二日斎藤氏の一族である万行又五郎胤成が、一族の同五郎成資の後家尼宝蓮・子息亀鶴と万行保の地頭職をめぐって訴訟を展開しており(「関東御教書写」長文書)、嘉元三年(一三〇五)侍所別当北条宗方が連署の北条時村を暗殺した擾乱に際し、能登国御家人の胤成は五月七日鎌倉に馳せ参じた(「万行胤成着到状」尊経閣文庫)。胤成は建武二年(一三三五)三月一七日、従来の所領の分割相続を廃して家督相続に改めるなどの三ヵ条を遺戒し、次男奥原七郎真将に万行保東方地頭職を譲与している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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