七日市藩(読み)なのかいちはん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「七日市藩」の意味・わかりやすい解説

七日市藩
なのかいちはん

上野(こうずけ)国甘楽(かんら)郡七日市(群馬県富岡市)に陣屋を置き、周辺領有した外様(とざま)藩。1616年(元和2)前田利孝(としたか)(加賀藩主利家の五男)が大坂の陣の功により1万石余に封ぜられて立藩。以後、維新まで12代、250年余にわたり在封した。小藩のため財政は苦しかったが、幕末には民政条目の制定や生育講の組織により領民救済、農村復興を図った。維新前後、水戸(みと)浪士の通過、世直し騒動への対応があった。1871年(明治4)廃藩後、七日市県、群馬県、熊谷(くまがや)県を経て、76年、現在の群馬県に編入。陣屋の正殿などが現存する。

[山田武麿]

『今井幹夫「七日市藩」(『上州の諸藩』所収・1981・上毛新聞社)』

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デジタル大辞泉プラス 「七日市藩」の解説

七日市藩

上野国、七日市(現:群馬県富岡市)周辺を領有した外様藩。初代藩主は前田利家の5男、前田利孝。以後前田氏が領有。

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世界大百科事典(旧版)内の七日市藩の言及

【前田氏】より

…64年(寛文4)の本藩朱印高は102万5020石余。また1616年(元和2),利家の子利孝が上野国七日市藩1万石に封ぜられた。官位は,利家は従二位権大納言,利長・利常は従三位権中納言,その後は正四位下参議権中将を家格とし,5代綱紀以後は加賀守を称し,4代光高以後は代々将軍の偏諱(へんき)を賜って改名した。…

【前田氏】より

…64年(寛文4)の本藩朱印高は102万5020石余。また1616年(元和2),利家の子利孝が上野国七日市藩1万石に封ぜられた。官位は,利家は従二位権大納言,利長・利常は従三位権中納言,その後は正四位下参議権中将を家格とし,5代綱紀以後は加賀守を称し,4代光高以後は代々将軍の偏諱(へんき)を賜って改名した。…

※「七日市藩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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