一竜斎貞山(読み)イチリュウサイテイザン

デジタル大辞泉 「一竜斎貞山」の意味・読み・例文・類語

いちりゅうさい‐ていざん【一竜斎貞山】

[1799~1855]講談師初世本名、中村貞之助。金城斎典山の門弟で、のちに大貞山と称された。伊達政宗と同じ独眼であったので、政宗の法名の貞山院殿によって、貞山と号した。得意とした出し物は「伊達評定」。芸名は継承されている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「一竜斎貞山」の意味・わかりやすい解説

一竜斎貞山
いちりゅうさいていざん

講釈師


初代
(1799―1855)本名中村貞之助。初代金上斎典山(きんじょうさいてんざん)の門人。独眼で伊達政宗(だてまさむね)を崇拝し、その法号貞山院にちなんで芸名としたという。『義士伝』『伊達騒動』を得意とし、大貞山とよばれた。


2代
(1839―1874)本名杉江某。『黒手組助六(くろてぐみすけろく)』など世話物を得意とする一方、1858年(安政5)『岩見重太郎実記』を上梓(じょうし)。住所にちなみ矢ノ倉貞山とよぶ。


3代
(1835―1889)本名内山孝吉(孝七とも)。『義士伝』『伊賀の水月(すいげつ)』などを得意とし、貞山を譲ってから錦城斎一山(きんじょうさいいっさん)となる。軍談師頭取の任にあった。4代目(1836―1890)は昇竜斎貞丈が1885年(明治18)に襲名し、5代目(1864―1935)は3代目錦城斎典山の前名。


6代
(1876―1945)本名枡井(ますい)長四郎。1907年(明治40)襲名。水道講談といわれるほどの名調子で『義士伝』を得意とし、1939年(昭和14)より講談組合頭取と落語協会会長を兼ねた。東京大空襲で溺死(できし)。


7代
(1907―1966)本名佐藤貞之助。1947年(昭和22)襲名。貞山派のお家芸を継承するとともに怪談物を得意とした。


8代
(1947―2021)本名小村井貞夫。7代目の実子、6代目神田伯竜の養子。1979年襲名。

[延広真治]

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改訂新版 世界大百科事典 「一竜斎貞山」の意味・わかりやすい解説

一竜斎貞山 (いちりゅうさいていざん)

講釈師の芸名。金上斎典山門下の初代(?-1855)が,独眼であったところから,伊達政宗の法号貞山院殿にあやかり名のったもの。以後は,錦城斎典山となって没した本名青山岳次郎の5代目(1863-1935),《義士伝》を得意とし,講釈師でありながら落語協会会長に推された本名桝井長四郎の6代目(1876-1945),怪談噺人気のあった佐藤貞之助の7代目(1907-66)が有名。
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百科事典マイペディア 「一竜斎貞山」の意味・わかりやすい解説

一竜斎貞山【いちりゅうさいていざん】

講談師。初世は江戸末期の人。5世〔1863-1935〕は本名青山岳次郎。時代物,世話物ともに巧みにこなし,名人と称された。のち錦城斎典山を襲名。6世〔1876-1945〕は本名桝井長四郎。格調ある語り口で《義士伝》などを得意とし,大正〜昭和講談界における第一人者であった。7世〔1907-1966〕は怪談物を得意とした。8世〔1947-〕は7世の実子で1979年襲名。

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