一条内政(読み)いちじょう ただまさ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「一条内政」の解説

一条内政 いちじょう-ただまさ

1557-1580 織豊時代公家
弘治(こうじ)3年生まれ。一条兼定(かねさだ)の子。天正(てんしょう)2年父を追放した長宗我部元親により土佐(高知県)国司とされる。元親の娘と結婚,長岡郡大津城にすむ。波川玄蕃(はかわ-げんば)らの元親に対する反乱計画にくわわり,追放される。子の政親で土佐一条家はたえた。天正8年死去。24歳。初名は吉房子。名は「うちまさ」ともよむ。

一条内政 いちじょう-うちまさ

いちじょう-ただまさ

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の一条内政の言及

【土佐一条氏】より

…戦国時代土佐国に土着した公家一条家の一流,三国司家の一つ。1468年(応仁2)一条兼良の長子前関白教房が国人大平氏らの援助により家領幡多荘中村へ下向したのを端緒とし,開祖房家より房冬,房基,兼定,内政(ただまさ)と5代つづいた。当初は家領回復に追われたが,細川氏の守護領国制崩壊後はその抜群の家格をもって諸国人間の紛争を調停,房基のころには東進して高岡郡南部をもその版図に収め,豊後の大友氏と結びしばしば伊予南部へ侵入した。…

※「一条内政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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