一戸 兵衛(読み)イチノヘ ヒョウエ

20世紀日本人名事典 「一戸 兵衛」の解説

一戸 兵衛
イチノヘ ヒョウエ

明治・大正期の陸軍大将,神官 明治神宮宮司。



生年
安政2年6月20日(1855年)

没年
昭和6(1931)年9月2日

出身地
青森県弘前市田代町

学歴〔年〕
戸山学校

経歴
明治7年陸軍兵学寮内の戸山学校に入学。西南戦争従軍し負傷した。のち日清戦争で功を立て、34年少将となる。日露戦争では乃木大将の下で旅順攻略戦に参戦戦後中将を経て、大正4年大将となり教育総監就任。9年退役し、学習院院長。13年明治神宮宮司となり、没年までその職にあった。15年より帝国在郷軍人会長を務めた。戦歴中で最も名高いのは旅順攻撃における盤龍山諸堡塁の奪取、特に同堡塁団の一つロシア名P堡塁の奪取で、その戦功を表彰するため一戸堡塁と命名された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「一戸 兵衛」の解説

一戸 兵衛 (いちのへ ひょうえ)

生年月日:1855年6月20日
明治時代;大正時代の陸軍軍人。大将;教育総監
1931年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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