ヶ岳(読み)やりがたけ

日本歴史地名大系 「ヶ岳」の解説

ヶ岳
やりがたけ

宇奈月うなづき町と長野県白馬はくば村の境にそびえる。標高二九〇三・一メートル。信飛国境の槍ヶ岳と区別するため白馬鑓しろうまやりともいう。白馬三山の一。元禄一〇年(一六九七)の浮田家の奥山廻記録(富山市郷土博物館蔵)に「鑓ケ岳に登り」と記される。同一三年の奥山御境目見通絵図(県立図書館蔵)にも山名が記され、以後ほとんどすべての新川郡絵図に記載。ただし「三州測量図籍」では「大蓮花」の名で記載し、現在のあさひ岳に相当する峰に鑓ケ岳の名を当てるなど、一帯の山名には混乱が多い。前掲奥山廻記録に「鑓ケ嶽より信州へ越え申す道の義、御仮絵図に道形は御座無く候へども、先年庄左衛門、信州へ罷り越し申す砌、此道罷り通り候。

ヶ岳
おいずるがだけ

大笠おおかさ山の南方、上平村と石川県吉野谷よしのだに村・岐阜県白川しらかわ村の三村境にそびえ立つ白山国立公園中の雄峻な山。標高一八四一・四メートル。酸性火山岩類からなる。江戸時代の越中国絵図類には、その峨々たる山容にふさわしく、「笈劔岳」とも記され、越加飛三ヵ国にまたがる山として特別に畏敬された。奥深い山であるため、越中平野部からの望見は不可能であるが、五箇山の小瀬ごかやまのおぜ峠などからはその壮麗な山容を眺めることができる。笈の名に示されるように修験の山であって、明治三八年(一九〇五)陸地測量部が三角点を設置したときこの山頂で経塚を発見、そこから経筒・仏像・鏡・短刀・鏃など多数が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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