ワース(英語表記)Wace

改訂新版 世界大百科事典 「ワース」の意味・わかりやすい解説

ワース
Wace
生没年:1110?-80?

アングロ・ノルマンの詩人,歴史家。ジャージー島で生まれ,おもにフランスで教育を受けた後,イギリス王ヘンリー2世の庇護を受け,ノルマンディーのカンで著述に励んだ。特にジェフリー・オブ・モンマスのラテン語の著作《ブリテン列王史》をフランス語韻文に自由訳した《ブリュ物語Roman de Brut》(1155)は,12世紀後半以降の騎士道物語に大きな影響を与えた。これはアーサー王の事跡についてのフランス語による最初のまとまった記述を含み,また単なる翻訳にとどまらず多くの細部が書き加えられている。とりわけ,騎士の席次の上下を無化する〈円卓〉のモティーフはジェフリーの原作にみられなかったもので,これはワースがケルト古説話から導入したのである。ほかに,ロロンの侵入からヘンリー1世までのノルマン公家の歴史を叙述した《ルー物語》(1160ころ),ラテン語からの訳書として《聖女マルグリット伝》《聖ニコラ伝》などがある。
円卓物語
執筆者:

ワース
Charles Frederick Worth
生没年:1825-95

イギリス出身のファッション・デザイナーパリ・ファッションの父といわれている。ロンドンで修業して,パリに出た。当時のフランスは第二帝政時代に当たり,華美な女性文化が栄えていた。ワースの服は1851年のロンドン博覧会や55年のパリ博覧会に出品されて評判になり,60年にはオーストリア大使メッテルニヒ公夫人のガウンをつくり,やがて皇帝ナポレオン3世の妃ウージェニーの専属デザイナーとなった。ウージェニーはファッションの中心であったから,ワースの服は世界的に知られるようになった。71年に帝政が倒れ,フランスが共和国になったとき,ワースはアメリカにもデザインを売るようになり,パリの流行が世界の中心となるきっかけをつくった。この年には1200人のスタッフを使っていた。ファッション産業を確立し,またファッションを芸術として高めた功績により,〈偉大なるワース〉といわれる。死後,息子たちがフランス国籍を得たためウォルトと呼ばれるようになり,現在もこの名で香水部門が維持されている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワース」の意味・わかりやすい解説

ワース
Wirth, Louis

[生]1897.8.28. ゲミュンデン
[没]1952.5.3. ニューヨーク,バッファロー
ドイツ生れのアメリカの都市社会学の先駆者の一人。 1911年アメリカに移住,26年シカゴ大学で社会学の博士号取得。 47年アメリカ社会学会会長,49~52年国際社会学会の初代会長をつとめた。彼は人間生態学的研究を都市人の生活様式や生活意識の研究にまで深め,アーバニズム理論を展開させ,さらに社会学を理論にのみとどめることなく,実践活動の領域にまで拡大させた。主著ゲットー』 The Ghetto (1928) ,『生活様式としてのアーバニズム』 Urbanism as a Way of Life (38) ,死後まとめられた『コミュニティー生活と社会政策』 Community Life and Social Policy (56) 。

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367日誕生日大事典 「ワース」の解説

ワース

生年月日:1897年8月28日
ドイツ生まれのアメリカの社会学者
1952年没

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