ワット・タイラーの乱(読み)わっとたいらーのらん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワット・タイラーの乱」の意味・わかりやすい解説

ワット・タイラーの乱
わっとたいらーのらん

1381年、イギリスで起こった農民一揆(いっき)。指導者ワット・タイラーWat Tyler(?―1381)にちなんでこの名がある。反乱はまず同年5月にケントで発生し、反徒はタイラーを指導者に選ぶと、6月13日にはロンドンに進入した。また、イースト・アングリア地方でも、修道院所領を中心に農民荘園(しょうえん)領主の居館を襲うなど、騒乱は各地に広がった。国王リチャード2世は同月14日マイル・エンドで反徒が要求した項目の一部を承認したので、帰郷した部隊もあったが、ケント勢は武装を解かず、15日スミスフィールドで再度王と交渉した。この会見のさなかに、市長ウォルワースは、短剣を手に王の身近に迫るタイラーを見て斬りかかり、頭と首に重傷を負わせた。王が反徒に再会を約してロンドンに帰る間に病院に運ばれたタイラーは、市長によってふたたびスミスフィールドに連れ戻され、そこで首をはねられた。指導者を失った反乱軍は壊滅状態となり、やがて鎮圧された。

 反乱の原因は、直接には百年戦争の戦費調達のため賦課された人頭税にあるが、提出された「綱領」には、農奴身分の廃止地代減額売買の自由などの要求項目が掲げられ、またこの反乱に思想的な影響を与えたジョン・ボールには、原始キリスト教への復帰を目ざす宗教改革志向が認められるなど、反体制的運動の性格が強い。参加者も農民に限らず、都市手工業者主力をなした地域もあった。

[松垣 裕]

『ヒルトン・フェイガン著、田中浩・武居良明訳『イギリス農民戦争――1381年農民一揆』(1961・未来社)』

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百科事典マイペディア 「ワット・タイラーの乱」の意味・わかりやすい解説

ワット・タイラーの乱【ワットタイラーのらん】

1381年英国で起こった農民一揆(いっき)。封建制度に対する農民の不満が,1377年以後実施された人頭税を機として爆発し,タイラーWat Tylerとボールの指導下に反乱を起こした。彼らは初めロンドンを占領し,国王リチャード2世に農奴制廃止などの要求を認めさせたが,急進的な一派はさらに活動を続けた。しかし国王の計略によりタイラーが殺されたため,反乱は鎮圧された。失敗に終わったが,この一揆の英国封建制の解体に果たした意義は大きい。
→関連項目農民一揆ロラード派

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