ワタ(読み)わた(英語表記)cotton

翻訳|cotton

改訂新版 世界大百科事典 「ワタ」の意味・わかりやすい解説

ワタ (棉/綿)
cotton plant
Gossypium

木質化するアオイ科ワタ属Gossypiumの多年草の総称であるが,栽培上は一年草として扱われるものが多い。繊維作物として広く栽培され,油料にも利用される。なお綿花とは,ワタの種子についた実綿(みわた)またはそれから生産された繊維をいう。根は直根が深く地中に入る。茎は1本立ちして側枝を出し,高さ1~1.5m,種によってはさらに高くなるものもある。葉はふつう3~5裂した掌状で,長い葉柄によって茎に互生する。花は側枝に咲き,ふつう黄色だが花底が赤いものや白花,赤花のものもある。花後球状で先端のややとがった蒴果(さくか)ができる。蒴の内部は3~5室に分かれ,それぞれ6~9個の種子が入っている。種子は卵形で,白色の長い綿毛lintと短い地毛fuzzにおおわれる。熟すと蒴が裂開し,綿毛が吹き出す。

栽培ワタには起源の異なる数種類がある。リクチメン(陸地棉)G.hirsutum L.は世界のワタ作付面積の70%を占め,栽培上もっとも重要である。アジアメンとアメリカ野生棉との雑種起源と考えられ,新世界からポリネシア地域原産。綿毛は長さ13~33mm,比較的繊細で中~中細番手紡績用原料とされる。カイトウメン(海島棉)G.barbadense L.は南アメリカの原産で,その綿毛はワタの中で最も長く38~50mm,中には60mmに達するものもあり,100~140番手の細手の糸を紡ぐことができる。湿気の多い温暖な海洋性気候に適し,ブラジル,西インド諸島,アメリカ東海岸の一部に栽培される。エジプトメンもカイトウメンの一系統で,エジプトのナイル川流域とアメリカ西部で栽培される。アジアメンには二つの系統がある。G.herbaceum L.はシロバナワタとも呼ばれ,中近東からインドにかけて栽培される。日本の在来種はこの系統である。G.arboreum L.はキダチワタ(木立棉)とも呼ばれ,原産地のインドでは4~6mにもなるという。アジアメンは蒴果も小型で綿毛も9~23mmと短いが,強度が大きいので布団の中入れ綿として利用され,30番手以下の太糸の紡績用に用いられる。

ワタの栽培と利用はきわめて古くから行われ,その起源の詳細は必ずしも明らかではない。インドでは古くからワタが栽培され,モヘンジョ・ダロの遺跡(現,パキスタン領)から前2500-前1500年の綿布が発見された。《リグ・ベーダ》(前1200-前1000)にもワタの記載があり,紀元前からインドでワタの利用があったことがわかる。インドのワタ製品はアラビア商人によってヨーロッパにもたらされた。インドに次いで古くワタが栽培されたのはアラビアで,ヨーロッパにワタの種子が伝えられたのは,アレクサンドロス大王の東征(前327)による。エジプトは現在ワタの主産地の一つであるが,前200年よりも以前にはワタを利用した証拠が発見されておらず,現在のエジプトメンは13~14世紀に栽培が始まったものとされる。南アメリカのワタはペルーで前1500年ころから利用されており,ブラジルでも古くから原住民によって利用されていた。中央アメリカでは前632年にワタが利用されていた記録がある。アメリカ合衆国のワタは,イギリスがパナマで栽培したインドのワタが,1740年ころにバージニア地方に伝わって栽培されるようになったものである。中国へは後漢の57-75年ころにインドから綿布がもたらされた。ワタの種子は10世紀に伝えられたが当初は観賞用で,本格的栽培は南宋の1125-62年ころに始まった。日本には古来ワタはなく,初めて記録にあらわれるのは孝謙天皇のときであるが,ここでのワタは国産ではなく,中国か朝鮮からの渡来品だったらしい。ワタが初めて日本で栽培されたのは,桓武天皇の延暦18年(799),三河国に漂着したインド人がもたらした種子による(《日本後紀》)。しかしこの種子は1年で絶えてしまい,その後もなん回か種子が渡来して栽培されたが数年で絶えている。経済的栽培が始まったのは別欄〈近世日本の綿作〉に見るように16世紀に入ってからである。江戸時代には国内の需要を満たしてなお余るほどで,日本もかつては世界的ワタ生産国の一つであった。

ワタの生育には18℃以上の温度と十分な日照が必要で,また開花前の生長期に降水が十分あり,開花後収穫までは乾燥することが望ましい。塩分やアルカリには強いので,海岸や干拓地でも栽培できるが,酸性土壌には弱い。種子は表面が蠟物質におおわれているので,発芽をそろえるため,地毛を除き,水に浸したのち消毒してまく。収穫は裂開した蒴果から綿毛におおわれた種子を手で摘みとるが,多大の労力を必要とするため,アメリカなどでは薬剤を散布して落葉させて機械収穫を行うことが多い。

 収穫後の種子から綿毛を分離し,綿糸,綿織物,ひも,綱などの紡織用,布団綿,脱脂綿などの製綿用の原料とする。綿毛を分離した種子は地毛除去機にかけられる。種子から分離した地毛はリンターlinterと呼ばれ,第1回目に分離したものは包帯,織物,詰物,クッションなどに使われる。ワタはまたセルロース原料としても重要で,この目的には第2回目に分離した地毛があてられ,綿火薬,レーヨン,セルロイドフィルムなどの製造に用いられる。繊維を除いた種子の綿実は重要な油料で,15~20%の綿実油を含む。食用油,マーガリンセッケンの原料とする。油を絞ったかすも家畜の飼料および肥料として重要である。また若芽はアフリカや東南アジアで食用としても利用される。
執筆者:

歴史的にみて綿花の生産が最も脚光を浴びるのは産業革命のときである。紡績機械の発明が綿製品の大量生産を可能にし,綿花に対する需要は飛躍的に伸びた。その後,世界の衣料材料の首位を占め,各国の農業作物や産業構造のみならず社会構造にも変化を与えた。イギリスの綿織物との競争に敗れたインドが,イギリスの植民地支配下に綿花生産基地となった例,アメリカの奴隷制度と結びついた南部諸州の綿花プランテーションなどはその代表的な例である。化学繊維が創出され,発達するにつれて,全繊維に占める綿の比重は低下したが,現在も繊維生産の首位を占め,その重要性に変化はない。

 日本では,明治初期まで近畿地方を中心に綿の生産が行われていたが,開国後は急速に外国綿に淘汰された。世界の綿花生産は1980万t(1995,FAO資料による。以下同じ)で,中国(477万t),アメリカ(391万t),インド(238万t),パキスタン(184万t),ウズベキスタン(131万t),トルコ(76万t),ブラジル(52万t)がおもな生産国である。アメリカは第2次大戦後躍進したソ連,中国に生産では追いつかれたものの,輸出では依然として戦前からの最大の綿花供給国の地位を保っている。ほかに輸出の多い国はエジプト,パキスタン,トルコなどである。輸入は日本と中国が圧倒的に多く,この2国で世界全体の1/3を占める。これに韓国,ドイツ,イタリア,フランスなどが続く。
綿織物業
執筆者:

綿が貴重品であった時代,布団などの寝具の詰物には,麻皮や苧屑(おくず)などが用いられた。昭和の初めまで苧屑類を〈わた〉と呼ぶ地方があったほどである。しかし江戸中期以降木綿綿が普及するにつれて,綿といえば木綿綿を指すようになった。化繊類の綿が著しく普及している現代では,ふたたび〈木綿の綿〉と特記する必要が生じている。

 木綿の布団綿は,1枚300gを畳1枚くらいの大きさにのべたものを10枚1包(3kg)にして1本という。布団の種類によって異なるが,敷布団の場合は,詰物として木綿綿20~22枚くらいを縦横交互に重ねて入れる。綿は,つやのある乳白色で,弾力があり,夾雑物(きようざつぶつ)のないものがよい。品質表示は,白の特,1,2などの等級に分かれており,赤綿は最近ではほとんどみられない。最上とされる青梅(おうめ)綿は,丹前1着分350gを1包としている。ほかに,用途により,着物に入れる中入れ綿,どてら綿がある。木綿綿は吸湿性があるので,手まめに乾かすことが肝要である。長く使って堅くなったら打ち直して(1割くらい目減りする),新綿を補う。

 近ごろは化繊との混綿がかなり出回っている。江戸時代から明治にかけては国産と中国綿が主であったが,近年はインド,パキスタン,ミャンマーなどの短毛筋(たんけすじ)綿から製綿されている。木綿綿の蠟質を脱脂したものが衛生綿である。

 布団綿にはほかに次のようなものが用いられる。(1)パンヤ綿 繊維作物カポックなどの実綿の利用で,軽くふんわりしているのが特徴。繊維によりがなく短いため固まりやすく,ほこりも立ちやすいので,中袋に入れてから,まくらやクッションの詰物として用いるのがよい。パンヤのまくらは江戸時代のぜいたくの一つであった。(2)絹綿 真綿を指すこともあるが,繭の外側の毛羽に木綿綿を混ぜたもので,軽く暖かなのが特徴。高級布団や着物にする。丹前用(絹100%,80g)に作ってある吹止綿もある。(3)羊毛綿 最近使われ出したもので,羊毛を綿状にして布団に入れる。保温力と耐久性に優れているが,日本の風土に適するか否か,未知数である。(4)化学繊維綿 第2次世界大戦中のスフ綿に始まるが,戦後の化繊界の発達はすさまじく,天然繊維をしのぐほどの各種の綿が生産され,単独または混合して使われている。木綿と比べて軽く,吸湿性が少なく,打直しの必要がないが,かたよりやすい欠点があるので,キルティングしておくと水洗いもできる。なお羽毛やウレタンフォーム類も綿同様に用いられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワタ」の意味・わかりやすい解説

ワタ
わた / 綿
cotton

アオイ科(APG分類:アオイ科)ワタ属Gossypiumの繊維作物で、種子表面の毛(繊維細胞)を利用する。

栽培種・系統

主要な栽培種としては4種ある。G. herbaceum L.(シロバナワタ、一年生)とG. arboreum L.(キダチワタ、多年生)はともにエチオピア南部の原産。前者は西アジアに、後者は古代にインドに伝わって栽培され、ともに東南アジア一帯に広まってアジアメンとよばれる。さらに中国に伝わったキダチワタから一年生のシナワタが分化し、11世紀から栽培され、これが日本にも伝来した。G. barbadense L.(カイトウメン)は中南米地域原産で、カリブ海に広まって一年生の現在の栽培種を生じ、16世紀にはアフリカに伝えられてエジプトメンを生じた。またG. hirsutum L.(リクチメン)も古くはメキシコなどで栽培されていたが、18世紀からアメリカ合衆国で大量栽培され始め、いまでは南アメリカ各地、旧ソ連地域、東南アジア、エジプトを除くアフリカなど、世界中でもっとも広く栽培されている。

[星川清親 2020年4月17日]

形態

現在栽培されるワタはおもに一年生の半木状草本で、多くの枝を分かち、草丈0.6~1.2メートルになる。葉は種によって2~4の切れ込みがあり、長さ5~10センチメートル。夏に枝の葉腋(ようえき)から結果枝が出て、その各節に花がつく。花は3枚の包葉に包まれ、内側に萼(がく)がある。花弁は5弁で、リクチメンは白、黄白色、アジアメンは黄、白、紅色など。いずれも開花後赤く変色する。径は約6センチメートル。自花受粉後できる蒴果(さくか)は長さ3~4センチメートルのモモの実形で緑色。内部は種によって3~5室あり、1室に7~8個の種子ができる。成熟すると蒴果は褐色になり、乾いて裂開する。これを開絮(かいじょ)とよぶ。各種子の表皮に繊維毛が生え、それが白い塊になって開絮により露出し膨らむ。種皮の繊維は長短いろいろあり、また種や品種によって平均長も異なるが、長いものはカイトウメンの5センチメートル以上、リクチメンは3センチメートル余り、アジアメンは2センチメートルくらいである。繊維は薄いクチクラ層に覆われたセルロースの重層構造で、中心は空洞になり、全体が撚(よ)れている。この撚れは製糸のために重要な性質で、カイトウメンはもっとも多く、アジアメンはもっとも少ない。繊維をつけたままの種子を実綿(みわた)といい、実綿から種子を除いたものを繰綿(くりわた)または綿花(めんか)(リントlint)という。また繊維を除いた種子は綿実(めんじつ)といい、16~20%のタンパク質、18~24%の油を含む。

[星川清親 2020年4月17日]

栽培

ワタは生育に高温が必要で、年平均気温15℃以上の熱帯から温帯の南部に栽培される。日本やアメリカの栽培北限は北緯37度、ウクライナでは夏季高温のため47度まで栽培されている。また日照を多く必要とし、生育期間の40%以上、とくに結実期が晴天であることが必要である。アメリカ合衆国の南部、いわゆるコットンベルトは適地として知られる。夏の終わりから秋に開絮した実綿は手摘みあるいは機械摘みし、工場に送ってローラー型あるいは鋸歯(きょし)型の繰綿機にかけて綿花をとる。繰綿歩合はリクチメンで30~35%、アジアメンは25~30%である。ワタは連作障害の少ない作物で、アメリカ合衆国では長期連作、あるいはワタ2~3年連作のあとトウモロコシやダイズを輪作して地力維持を図っている。また連作の場合も冬作にマメ科作物をつくり、これを鋤(す)き込むことが多い。土壌の種類に対しては適応性が大きい。酸性にはやや弱いが、塩分に対しては各種作物のうちでもっとも強いほうであるため、各国では塩分の多いアルカリ性土壌で栽培されるのが一般である。

[星川清親 2020年4月17日]

栽培史

ワタは紀元前5800年ころのメキシコの遺跡から果実が発掘されている。またペルーでも前2400年のワカ・プリエタ遺跡から綿の織物の破片が発見されている。一方インドのモヘンジョ・ダーロ遺跡の前3500年の地層から綿糸が発掘されている。これらのことから、ワタは古代から人間に利用されており、しかもインドとペルーでそれぞれ独自に利用され、織物がつくられていたことが明らかである。インドは紀元前数世紀から綿産国としてヨーロッパにまで知られ、その後東南アジア、アラビア、アフリカ、南ヨーロッパにワタ作が広まった。エジプトでは古代から繊維作物としてアマがつくられていたが、紀元のすこし前ころからワタが利用されるようになった。中国には11世紀ころから重要な作物として、とくに華中・華南に栽培されるようになった。これらの歴史の間に各地でいろいろな系統品種ができたが、インドに発するワタの歴史を綴(つづ)ったものは一括してアジアメンである。アメリカ大陸ではコロンブスが来航した時代には、すでに中南米、西インド諸島一帯にワタが栽培されていた。そして西欧人の手によってカリブ海諸島のワタすなわちカイトウメンが、西アフリカやスーダンに伝えられ、エジプトメンが誕生した。一方、南アメリカのペルーなど内陸地のワタ、すなわちリクチメンは18世紀に入ってアメリカ合衆国に入った。おりしも1793年にホイットニーが繰綿機を発明したことにより、イギリスのランカシャーに大紡績業がおこり、アメリカ合衆国は原綿の供給地として大規模な企業栽培が行われた。以後リクチメンは世界各地の熱帯、亜熱帯諸国に広まって生産されるようになった。

 日本へのワタの伝来は、桓武(かんむ)天皇の延暦(えんりゃく)18年(799)に三河(みかわ)国(愛知県)に漂着したインド人が種子をもたらしたのが初めといわれる。しかしそれは栽培が定着せず、その後文禄(ぶんろく)年間(1592~1595)に中国から種子が導入されたことにより九州で栽培が始まり、しだいに関東地方にまで広まった。日本ではそれまで生糸のことをワタとよんでいたが、以来モメン(木綿)という呼び名が新来作物につけられ、しだいにこれがワタの名を奪うようになり、繭(まゆ)からとるものはマワタ(真綿)とよばれるようになった。江戸時代の各藩では、ワタ栽培の振興に努め、日本人のもっとも主要な衣料繊維として利用された。当時の主要品種としては会津在来、紫蘇綿(しそめん)など多数があった。明治時代に入っても官営紡績工場が設けられてワタの栽培が奨励され、明治20年(1887)ころには作付面積10万ヘクタール、綿花2万5000トンの生産があり、ほぼ国内需要を満たしていた。しかしその後日本の綿紡績産業は世界最大に発達し、安価な外国の原綿を輸入するようになった。このため国内のワタ栽培は急速に減少し、いまでは栽培は皆無の状態である。

 2013年のワタ(綿花)の生産は世界全体で約2477万トン、国別では中国、インドが主産国で、アメリカ、パキスタンが続く。また同時にワタの種子(綿実)が綿花の約2倍、4555万トンほど生産されている。

[星川清親 2020年4月17日]

利用

ワタは綿糸、綿織物など紡績用にされる。繊維が短いなど品質の劣るものは、ふとんの中入れ綿や脱脂綿などにされるほかに、綿火薬やさまざまな充填(じゅうてん)料に使われる。綿実は圧搾または溶媒抽出により油をとる。綿実油はリノール酸40~50%、オレイン酸20~70%、パルミチン酸20%を含む半乾性油で、良品質、しかも安価なためてんぷら油などに多く用いられる。冷却法で固形分を除いたものを冬油とよび、サラダ油、マヨネーズ油として適する。またマーガリン原料となり、動物脂と混ぜてラードもつくられる。このほか、せっけんなどの原料にされる。油を搾った綿実粕(かす)は、飼料や肥料として利用される。

[星川清親 2020年4月17日]

文化史

もっとも重要な天然繊維であり、有史前から新旧両大陸で独自に開発利用された。衣服以外にペルーのワカ・プリエタ遺跡からは漁網が出土し、現在もアマゾンのインディオは吹矢の鏃(やじり)に使う。アフリカでは、種子を長時間煮て、突き砕き、皮を除いて団子状に丸め発酵させた伝統的食品のダウダワがある。

 ワタの日本への渡来は8世紀末で、それ以前『万葉集』に詠まれる綿(わた)(巻14、3354など)はカイコの繭からとった真綿(まわた)で、木綿(ゆう)はコウゾとみられる。『日本後紀』の延暦(えんりゃく)18年(799)7月条に三河に天竺(てんじく)人と称する男(唐人は崑崙(こんろん)人とみる)が漂着しワタの種子を伝えたとの記録がある。このワタの種子はのち、紀伊(きい)、阿波(あわ)、讃岐(さぬき)、伊予(いよ)、土佐(とさ)および大宰府(だざいふ)管内に植えさせたという(『類聚(るいじゅう)国史』延暦19年4月条)。そのおりワタの種を入れていたとされる壺(つぼ)が、西尾市天竹(てんちく)町の天竹社(綿神(わたがみ))に宝物として伝わる。9世紀、ワタの生産は伸び、大宰府では884年(元慶8)絹の4倍にあたる8万屯(とん)に達した(『三代実録』)。その後は不作で衰退し、『源氏物語』の「橋姫」には、「絹や綿などを数多くお贈りになる」との表現がみられるが、平安後期から室町時代にかけては、三河地方などで細々とつくり継がれるにすぎなかった。16世紀、朝鮮や中国から新しい品種が渡来し、生産は息を吹き返し、江戸時代は庶民の衣服用に定着した。

 ワタ栽培には、多数の労働力を必要とする。アメリカ合衆国南東部の綿花地帯は19世紀には世界最大の綿生産地となり、それを支えた奴隷制は南北戦争を引き起こした。

[湯浅浩史 2020年4月17日]

『吉村武夫著『綿の郷愁史』(1971・東京書房)』『大蔵永常著『綿圃要務』(1833年刊/『日本農書全集15』所収・1977・農山漁村文化協会)』


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栄養・生化学辞典 「ワタ」の解説

ワタ

 [Gossypium indicum].アオイ目アオイ科ワタ属に属する木綿をとる植物.実から植物油(綿実油)をとり,残部の綿実粕は飼料にする.

出典 朝倉書店栄養・生化学辞典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のワタの言及

【油かす(油粕)】より

…農業経営において近世前期では,肥料として山地の枯葉・落葉・畜肥・屎尿(しによう)・農地や自家の残しくずなど自給肥料にたよっていたが,新田開発などによって採草地は減る反面,商業的農業が展開し多角的集約的な農業経営に変わってくると,油かす肥料を利用する農家が増えてきた。ことにナタネ作やワタ作が盛んになってくると,その搾りかすも多量になった。しかし幕府は,これらの商品作物がナタネは灯油・食用・髪用などの原料,ワタは糸・織布類などの原料として一般庶民の生活需要品であるので,価格統制を加えた。…

【農業】より

…農業とは,土地を利用して作物の栽培または家畜の飼養を行い,人間にとって有用な生産物を生産する経済活動であり,そのような活動を行う産業である。人間に有用な農業生産物は食糧と一部の工業原料であるが,農業はそれらを,土,水,太陽エネルギーなどの自然力を利用して作物として生産し,また家畜を繁殖,肥育させることによってそれを生産する。このような農業の産業としての特質は,第1に,土地を基本的な生産手段とし,またその土地を商工業などの他産業と比較して,広い面積にわたって相対的に粗放に利用することであり,第2に,人間が長い年月をかけて育成し,または馴らしてきた高等動植物を対象(もしくは手段)とする,有機的生産であることである。…

※「ワタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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