ワイデンライヒ(読み)わいでんらいひ(英語表記)Franz Weidenreich

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイデンライヒ」の意味・わかりやすい解説

ワイデンライヒ
わいでんらいひ
Franz Weidenreich
(1873―1948)

ドイツの解剖学者、人類学者。とくに北京(ペキン)原人ホモ・エレクトゥス・ペキネンシス)と人類進化の研究で有名。ストラスブール大学で医学を学び、1903年母校の解剖学教授となった。主として骨格の研究とともに霊長類進化の研究も行った。1919年ハイデルベルク大学教授となり、1928年にはフランクフルト大学の人類学教授に任ぜられた。1935年、北京原人化石の研究中に死亡したブラックDavidson Black(1884―1934)の後任として北京の協和医学院に教授として招かれ、精力的に北京原人の研究を進めた。1941年ニューヨークアメリカ自然史博物館に移り、ジャワ原人ソロ人ギガントピテクスなどの研究を行い、人類進化学の発展に大きく貢献した。1930年代後半には4回にわたって来日し、特別講演を行った。

埴原和郎 2018年11月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「ワイデンライヒ」の意味・わかりやすい解説

ワイデンライヒ
Franz Weidenreich
生没年:1873-1948

ドイツ生れの人類学者。ミュンヘンその他の大学で医学を学び,ストラスブール大学解剖学教室に入ってシュワルベ教授のもとで血液学の研究を行ったが,1921年ハイデルベルク大学の解剖学教授となったころから,しだいに人類の進化への関心を深め,エーリンクスドルフ出土の頭蓋化石の研究を担当した。28年フランクフルト大学の人類学の教授となったが,34年にナチス支配下のドイツを離れてアメリカに渡った。その年,北京の協和医学院で北京原人(シナントロプス・ペキネンシス)化石の研究に没頭していたD.ブラック教授が急死し,ワイデンライヒがその後を継ぐこととなった。35年に北京へ赴任したときはすでに61歳となっていたが,全精力を北京原人研究に傾注し,頭蓋腔の内型,下顎骨,歯,そして四肢骨の研究を次つぎにまとめて発表した。41年には,化石の模型を携えてニューヨーク自然史博物館に移り,頭蓋の研究を完成,43年これを刊行した。北京原人の化石は第2次大戦中に失われたが,その形態的特徴は彼の手で余すところなく記載され,学術資料としての価値を永遠にとどめることとなった。晩年はアメリカで人類学の研究と普及活動を続け,ニューヨークで生涯を閉じた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイデンライヒ」の意味・わかりやすい解説

ワイデンライヒ
Weidenreich, Franz

[生]1873.6.7. エデンコーベン
[没]1948.7.11. ニューヨーク
ドイツの人類学者,解剖学者。 1899年にストラスブール大学医学部を卒業し,1903年に同大学解剖学教授となった。その後,19年ハイデルベルク大学解剖学教授,28年フランクフルト大学人類学教授,34年シカゴ大学客員教授を歴任。 35年より北京のユニオン医科大学教授となり,D.ブラックの跡を継いでシナントロプス・ペキネンシスの発掘と研究に従事し,その成果を集大成した。晩年は地域ごとの原人から新人にいたる連続進化を説いた。主著『シナントロプス・ペキネンシスの頭骨』 The Skull of Sinanthropus Pekinensis (1943) 。

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百科事典マイペディア 「ワイデンライヒ」の意味・わかりやすい解説

ワイデンライヒ

ドイツの解剖学者,人類学者。1935年ナチスに追われ渡米,同年北京協和医学院客員教授。シナントロプスの遺跡の発掘研究は有名。そのほかピテカントロプスやソロ人の研究も行った。

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世界大百科事典(旧版)内のワイデンライヒの言及

【ギガントピテクス】より

…絶滅巨大類人猿かヒトの祖先かで学者の意見が分かれた。F.ワイデンライヒが,この化石をもとに人類祖先巨人説を唱えたことは有名である。切歯は小さく,上下の犬歯は平らに磨耗し,大臼歯の大きさは現代人の4倍以上もあり,その歯冠部は高くて前後に長い。…

【シナントロプス】より

…周口店ではその後37年まで発掘がおこなわれ,40体分以上の人類化石が発見されたが,これらの資料は太平洋戦争開戦以来,行方不明となっている。しかし化石人骨の全点について正確なセッコウ模型が残されており,その形態は細部に至るまで,ブラックおよびその後継者F.ワイデンライヒによって《中国古生物誌丁種》に記載されている。 シナントロプスの頭蓋腔容積は約900~1200ccで,現代人と猿人のほぼ中間の大きさである。…

【上洞人】より

…最低8個体分と見られる人骨の中には,椎骨,脛骨など体肢骨破片のほかに,かなり完全な頭蓋3個が含まれている。39年,ワイデンライヒは,老年男性頭蓋は原始的モンゴロイドに,二つの壮年女性頭蓋はそれぞれメラネシア人とエスキモーに類似するとし,上洞人の家族が異なる種族から構成されていたと述べている。これらの化石は,41年北京原人とともに紛失してしまったが,そのレプリカを再吟味した呉新智は,61年,上洞人に現在の中国人,エスキモー,アメリカ・インディアンに類似する特徴を認め,彼らは原始的モンゴロイドを代表するものであるという結論に達した。…

【メガントロプス】より

…その後52年にも,サンギランのカブー層最下部で,同じように巨大な下顎骨の体部が発見され,メガントロプスBと名付けて発表された。北京原人の研究で知られるF.ワイデンライヒは,これを年代的に原人よりも古いものと考え,人類の遠祖は巨人であったという仮説を発表したことがあった。しかし現在では,メガントロプスとピテカントロプスは時代的にほぼ並行して生存したことが明らかになっている。…

※「ワイデンライヒ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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