ワイセンフェルス(読み)わいせんふぇるす(英語表記)Weißenfels

デジタル大辞泉 「ワイセンフェルス」の意味・読み・例文・類語

ワイセンフェルス(Weißenfels)

ドイツ中部、ザクセン‐アンハルト州の都市ザーレ川沿いに位置する。17世紀建造のバロック様式のワイセンフェルス城が有名東ドイツ時代は製靴業中心地であり、靴の歴史博物館がある。作曲家シュッツ生地。バイセンフェルス。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワイセンフェルス」の意味・わかりやすい解説

ワイセンフェルス
わいせんふぇるす
Weißenfels

ドイツ中部、ザクセン・アンハルト州の都市。1949~90年は旧東ドイツに属した。ザーレ川がライプツィヒ湾入低地へ流入する地点の標高103メートルに位置する。人口3万1900(2000)。旧東ドイツの靴製造工業の中心地で、製靴工業学校、靴型コンビナート、靴博物館などがある。さらに製靴機械、皮製品加工機械、釘(くぎ)、ベアリングの製造も行われている。名称はザーレ川河畔の岩山に建つワイセンフェルス城(1660~93建造)に由来する。1185年都市権を得、ザクセンのウェッティン家に所属したのち、1815年プロイセン領となった。14世紀の聖マリエン教会が残る。

[佐々木博]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワイセンフェルス」の意味・わかりやすい解説

ワイセンフェルス
Weissenfels

ドイツ中北部,ザクセンアンハルト州の都市。ライプチヒ南西約 30kmのザーレ川右岸に位置する。スラブ人の居住地跡にドイツ人が建設した都市で,1185年ザクセンのウェッティン家に属し,都市権を得た。 1680~1746年,ワイセンフェルス公の居地。 1815年プロシアに編入。バロック様式の城 (1660~93) が残る。工業生産では靴,製靴用機械が中心で,市立博物館は靴の歴史博物館として知られる。人口3万 6865 (1991推計) 。

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