ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロー」の意味・わかりやすい解説
ロー
Loew, Marcus
[没]1927.9.5. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国における映画興行の先駆者。映画館経営者の草分け的存在。既存の劇場チェーンを拡大するとともに,映画制作会社を統合して映画の中心地ハリウッドの確立に貢献した。オーストリア移民の子に生まれ,家計を助けるために 9歳で学校を辞めて働き,長じて毛皮商人としてささやかな財をなした。映画の興隆に着目して 1905年にはニッケルオデオン(5セント劇場)のチェーンを所有し,各地の主要な劇場を買収して大衆向けのボードビル演芸と映画の上映を組み合わせて興行した。ローの経営する興行会社ローズは,1920年に映画制作会社メトロ・ピクチャーズを買収し,1924年にサミュエル・ゴールドウィン退陣後のゴールドウィン・ピクチャーズを吸収合併。翌 1925年にはルイス・B.メイヤー・ピクチャーズも傘下に収め,社名をメトロ=ゴールドウィン=メイヤー MGMに改めた。ロー自身巨額の富を築くとともに,没後,MGMは世界最大の映画制作会社へと発展した。
ロー
Law, John
[没]1729.3.21. ベネチア
スコットランド生れでフランスの財政を指導した財政家。ロンドンに移住し,1694年決闘で相手を殺し,死刑の宣告を受けたが脱獄してヨーロッパ大陸に逃れ,アムステルダムで銀行業務にたずさわった。 10年後スコットランドに戻り,その経験をもとにスコットランドの財政改革を提案する論文を執筆。その改革案を実施するために,1716年フランス政府の認可を受けてフランス国内に一般銀行を設立し,18年それを王立銀行に改組した。またフランス領アメリカにルイジアナ会社を設立して,17年西インド会社に発展させ,ミシシッピ川流域の広大なフランス領の開発を企てた。彼の財政体系はフランスでブームを引起したが,紙幣乱発と投機によって信用を失い,20年銀行は支払い停止に陥った。そのためベネチアに逃れて客死。
ロー
Law, William
[没]1761.4.9. キングスクリッフ
イギリスの神秘主義的宗教家,イギリス国教会高教会派に属する臣従拒誓者。ケンブリッジ大学に学び,同大学エマニュエル・カレッジのフェロー (特別研究員) をつとめ (1711) ,歴史家ギボン家の家庭教師 (27~37) 。宗教の感情的・実践的要素を強調,J.ウェスリーに大きな影響を与えた。 1737年頃より新プラトン主義的神秘主義,特に J.タウラー,J.ベーメなどの弁護者となった。主著"Practical Treatise Upon Christian Perfection" (26) ,"Serious Call to a Devout and Holy Life" (28) ,"The Way to Divine Knowledge" (52) ,"The Spirit of Love" (52) 。
ロー
Law, Andrew Bonar
[没]1923.10.30. ロンドン
イギリスの政治家。通称ボナ・ロー。 12歳のときスコットランドのグラスゴーに移り,16歳で実業界に入って鋼鉄業者として成功。保守党員として下院に入り (1900) ,A.バルフォアの跡を継いで保守党下院首領となって (11) ,アイルランド自治法案に反対。第1次世界大戦勃発後,植民相 (15~16) ,蔵相 (16~19) ,国璽尚書 (19~21) を歴任,講和全権団の一員としてベルサイユ条約に調印 (19) 。 1922年ロイド・ジョージの連立内閣に代って保守党内閣を組織し,植民地出身の最初のイギリス首相となったが,23年5月病のため辞任。
ロー
Low, Seth
[没]1916.9.17. ニューヨーク,ベドフォードヒルズ
アメリカ合衆国の政治家,教育家。1870年コロンビア・カレッジ卒業後,貿易業に従事。1881~85年ブルックリン市長を務め,税制改革,公立学校拡充をはじめ市政改革に成功。1890~1901年コロンビア大学学長を務め,キャンパスの移転などいくつかの制度改革を行ない,コロンビア大学を総合大学として発展させることに貢献した。1899年ハーグ平和会議アメリカ代表団の一員となり,1901年ニューヨーク市長に選ばれた。その後もタスキーギ工業師範学校理事長,ニューヨーク州商工会議所会長などの職にあった。
ロー
Low, Sir David Alexander Cecil
[没]1963.9.19. ロンドン
ニュージーランド生れのイギリスの漫画家,風刺画家。独学で絵を習い,1911年にシドニーの『ブレティン』紙の漫画家となり,19年ロンドンに渡り雑誌『スター』の専属となる。 27年から『イブニング・スタンダード』紙の政治漫画と風刺画を担当。第2次世界大戦中ヒトラー,ムッソリーニ,ゲーリングなどの似顔絵を描き活躍した。 50年に『デイリー・ヘラルド』紙,53年に『ガーディアン』紙に移り,62年にナイトに叙せられた。主要作品は『怒りの年』 (1949) ,『恐るべき 50年代』 (60) 。
ロー
Lowe, Sir Hudson
[没]1844.1.10. ロンドン
イギリスの軍人。 1793年以降フランス革命戦争に従軍して,1814年にナイト爵を叙爵。セントヘレナ島へ流されたナポレオン1世の管理役を命じられ,16年同島総督として着任。この重大な任務を厳格に遂行しようとしたため,ナポレオンとの間に摩擦が生じた。 21年ナポレオンが没すると帰国し,25年セイロン島軍副司令官となった。 30年陸軍中将。
ロー
Lowe, Robert, Viscount Sherbrooke
[没]1892.7.27. サリー,ウォーリンガム
イギリスの政治家。 1852年下院に入る。自由党所属。 55年商務院副総裁。 59年枢密院教育委員会副委員長。 66年党内アダラム派の指導者として,自由党政府の議会改革法案をつぶすために活躍。 W.グラッドストン内閣で 68~73年蔵相,73~74年内相。 80年シャーブルック子爵の爵位を授かる。
ロー
Roe, Sir Thomas
[没]1644.11. サマセットシャー,バス
イギリスの外交官。 1615年イギリス東インド会社からインドのムガル宮廷に大使として派遣され,インドにおけるイギリス勢力の基礎を築いた。のちオスマン・トルコ帝国大使に就任。
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