世界大百科事典 第2版 「ローヤル・ソサエティ」の意味・わかりやすい解説
ローヤル・ソサエティ【Royal Society】
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
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…リシュリューが創立したアカデミー・フランセーズ(1637),マザランによる王立絵画・彫刻アカデミー(1648),ついでコルベールによる碑文・文芸アカデミー(1663),アカデミー・デ・シアンス(1666),音楽アカデミー(1669)などは,いずれもフランス国家公認の学術団体で,フランス語の整備,フランス文化の向上,科学技術の発展といった文化政策の一翼を担わされている。フランスのアカデミー・デ・シアンスと並び称されるのがロンドンのローヤル・ソサエティ(王立協会)で,1662年に国王チャールズ2世の認可を受け,数学,物理学,生物学に関する数多くの調査を実施した。1703年にはI.ニュートンが会長に選出されている。…
…一方コルベールは,科学者および科学研究の制度化を通じて,科学を国家の発展と栄光に役立てることができると考えた。このような経緯で設立された科学アカデミーは国家機関であり,王立とは名ばかりで内実は科学愛好家のサークルにすぎなかったイギリスのローヤル・ソサエティ(王立協会,1660創立)とは存立の基盤を異にしている。会員には俸給が支払われ研究費も与えられたが,反面,特許申請の処理や研究プロジェクトの遂行など,多くの義務が課された。…
…体系的な知識,正確でしっかりした知識というような意味合いが生まれる可能性がそこに含まれていたとする説もある。17世紀にイギリスでも用いられるようになったとき,この言葉は,ユークリッド幾何学のような演繹(えんえき)的にがっちりと組み立てられた知識体系を指すこともあり,また実験や観察から得られた知識を指すこともあったが,たとえば今日では科学にかかわる学会と考えられているローヤル・ソサエティが1660年代に生まれたとき,〈自然についての知識の改良のための学会〉とうたわれているにせよ,そこでの〈知識〉はknowledgeであって,scienceは使われていない。これは,この学会をまねてつくったといわれるフランスのアカデミー・デ・シアンスが,はっきりとsciences(複数)と表現しているのと対照的である。…
…一般に科学を学ぶ人々は,啓蒙的,教育的な色彩をも兼ねた研究書によって学び研究したのである。イギリスのローヤル・ソサエティRoyal Society(1662創立)のような集りは,科学の相互教育の機関として機能した。18世紀初めになると,大学の外で有料の科学の連続講座が開かれるようになった。…
…しかし,アカデミア・デイ・リンチェイも,メルセンヌ・アカデミーも,さらには,57年,メディチ家をパトロンとして発足したアカデミア・デル・チメントAccademia del Cimentoも,制度的・財政的な基盤が脆弱(ぜいじやく)で,中心的人物やパトロンと運命をともにせざるをえず,したがって活動期間も長くは続かず,いずれも短命に終わってしまった。これに対して,60年ロンドンに設立されたローヤル・ソサエティは今日も存続しており,最も権威ある学会の一つとなっている。実質的には近代的な学会のモデルとなったローヤル・ソサエティは次のような特色をもっていた。…
…54年にはドーセットシャーの荘園からオックスフォードに住居を移し,グレシャム・カレッジ出身の科学者グループに参加して科学活動に専心した。このグループは実験に基づく有用な学問を推進するというベーコン主義の理想を掲げ,後のローヤル・ソサエティの核となった。 ボイルは57年ころO.vonゲーリケの真空実験を知り,助手のR.フックの製作した空気ポンプを用いてさまざまな実験を行い,《空気の弾力に関する自然学的新実験》(1660)を著した。…
※「ローヤル・ソサエティ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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