ロンドン塔(読み)ロンドンとう(英語表記)Tower of London

翻訳|Tower of London

精選版 日本国語大辞典 「ロンドン塔」の意味・読み・例文・類語

ロンドン‐とう ‥タフ【ロンドン塔】

[一] ロンドンテムズ川北岸にある城砦。紀元前にケルト人が創築し、それをローマ人が占居。一一世紀にウィリアム一世がホワイトタワーを築いて居城として以来、歴代の王が補強改築し、不正六角形で二重の城壁をもつ今日の姿となった。のち身分ある国事犯の牢獄となり、現在は王室の宝物の保管所、武器・甲冑の展示場。
[二] (倫敦塔) 小説。夏目漱石作。明治三八年(一九〇五)発表。ロンドンに滞在中見学したロンドン塔を舞台に、それにまつわる幻想を描いた浪漫的な作品。

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デジタル大辞泉 「ロンドン塔」の意味・読み・例文・類語

ロンドン‐とう〔‐タフ〕【ロンドン塔】

ロンドンのテムズ川北岸にある城砦じょうさい。11世紀後半にウィリアム1世が造営。歴代のイングランド王が王宮としたが、のち国事犯の牢獄・処刑場とされた。現在は博物館。1988年、世界遺産文化遺産)に登録された。

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改訂新版 世界大百科事典 「ロンドン塔」の意味・わかりやすい解説

ロンドン塔 (ロンドンとう)
Tower of London

イングランド王ウィリアム1世が1078年,ロンドンの支配と防衛のため,テムズ川の北岸,ローマ時代の市壁の内側に築いたホワイト・タワーに起源する城塞。全域は18エーカー(約7ha)。その後リチャード1世,ヘンリー3世などにより内郭といくつかの塔が,エドワード1世により外郭と濠が築かれ,近代初頭にも多少の手が加えられて,13の塔と不規則な六角形の二重の城壁をもつ今日のロンドン塔となった。中世以来近代初めまでしばしば王宮となり,また長く国事犯の牢獄としても使用され,ロンドン城代と国王護衛兵により守られた。本来の入口はテムズ川に面して水をひいた〈トレーターズ・ゲート(反逆者の門)〉で,ここから小舟で運ばれた囚人は,二度と再び生きて出ることがないと恐れられた。ここで処刑または監禁された囚人はトマス・モア(1535処刑),ヘンリー8世王妃アン・ブーリン(1536処刑),後の女王エリザベス1世(1554,投獄2ヵ月で釈放),ウォーター・ローリー(1592,1603-16投獄,1618処刑)ら多数を数え,彼らにまつわる物語はロンドン塔の歴史に陰惨な影をおとしている。今日は〈ビーフイーターBeefeater〉と俗称されるチューダー時代の服装をした護衛兵の管理もとで,王室の宝物の保管所として,また武器・甲冑の展示場として,一般に公開されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロンドン塔」の意味・わかりやすい解説

ロンドン塔
ろんどんとう
Tower of London

イギリスのロンドン東部、シティ地区の東端にある砦(とりで)。タワー・ヒルとよばれるテムズ川北岸の高台に建ち、中央のホワイト・タワーのほか、王室宝物館、武器展示館など数個の建物とそれらを囲む城壁があり、さらにその外側には濠(ほり)が巡らされている。その歴史はカエサルのブリタニア遠征の際の築城に始まるといわれ、古くから要塞(ようさい)として使われていたが、12世紀のノルマン王朝による再建を経て徐々に拡張され、13世紀後半にほぼ現在の外形が整った。17世紀前半までは王室の居城の一つであったが、歴史上はむしろ監獄として知られ、トマス・モア、アン・ブリン、ジェーン・グレイらが処刑されるなど、数多くの歴史的エピソードをもつ。ウェストミンスターではなくシティの内部に置かれたその立地が示すように、本来はシティの住民に対する国王権力の威圧の意が込められていたが、18世紀ごろから観光の名所として親しまれるようになり、現在に至っている。1988年には世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。

[大久保桂子]


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百科事典マイペディア 「ロンドン塔」の意味・わかりやすい解説

ロンドン塔【ロンドンとう】

ロンドンのテムズ川北岸に位置する城砦(じょうさい)。1078年ウィリアム1世の築城に始まり,13世紀までにほぼ完成。六角形の2重の城壁をもち,中心部はホワイトタワー。初め王宮の一つであったが,中世末から19世紀まで国事犯の牢獄として使用,モアローリーなど多くの有名人が投獄された。現在は王冠,武器,拷問具を陳列し一般公開されている。1988年,世界文化遺産に登録。
→関連項目アン・ブーリン

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世界の観光地名がわかる事典 「ロンドン塔」の解説

ロンドンとう【ロンドン塔】

イギリスの首都ロンドンのイーストエンド、テムズ川の岸辺に築かれた中世の城塞。◇その姿から「ホワイトタワー」とも呼ばれる。英王室所有の宮殿の一つで、正式名称は「女王陛下の宮殿にして要塞」(Her Majesty's Royal Palace and Fortress)。この城塞は、イングランドを征服したウィリアム1世が1078年にロンドンを外敵から守るために建設に着手し、ヘンリー3世(1207~1272年)の治世に完成した。長い歴史の間に国王が居住する宮殿として使われたほか、王族や政治家などの幽閉・処刑施設として使われた歴史を持つ。現在は武器などの保管庫や礼拝所として使用されているほか、世界最大級のカットダイヤモンドであるカリナン(アフリカの星)が保管されていることでも有名である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロンドン塔」の意味・わかりやすい解説

ロンドン塔
ロンドンとう
Tower of London

旧ロンドン市の東に接し,テムズ川の北岸に位置する城郭。現在地にはローマおよびサクソン時代にも城塞があったと推定されるが,現存最古の建造物ホワイト・タワーは,1078年頃ウィリアム1世がロンドン市を威圧するために建造させたもの。以後数世紀にわたって建物,城壁が増築された。元来は城塞であったが,スティーブン王からジェームズ1世の治世までは王宮として使用され (この部分は清教徒革命の際,O.クロムウェルによって破壊された) ,また 19世紀初めまでは国事犯の牢獄,処刑場として名高く,イギリス史上多くのエピソードを生んだ。 1988年世界遺産の文化遺産に登録。

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世界遺産詳解 「ロンドン塔」の解説

ロンドンとう【ロンドン塔】

1988年に登録されたイギリスの世界遺産(文化遺産)で、ロンドン市内、商業の中心地シティ地区にある。ウィリアム1世(在位1066~1087年)が、1066年にテムズ川河畔に質素な木造の砦を築いたのが始まりで、1078年頃、白い石材で建て替えられ、要塞と王宮を兼ねた「ホワイト・タワー」が生まれた。その後、歴代の王によって増築が重ねられ、19世紀半ばに現在のロンドン塔の全容が完成した。15世紀後半からは政治犯の牢獄や処刑場としても使われた。現在は、博物館として使われ、絢爛豪華な王室の財宝が保管されている。歴史上重要な建築物として評価され、世界遺産に登録された。◇英名はTower of London

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ロンドン塔」の解説

ロンドン塔(ロンドンとう)
Tower of London

ロンドンのテムズ川北岸にある中世以来の城砦。ノルマン人の征服ウィリアム1世により建造が始められ,その後拡大されて,王宮となる。国事犯の牢獄,処刑場としても用いられた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ロンドン塔」の解説

ロンドン塔
ロンドンとう
Tower of London

ロンドンのテムズ川北岸にあるイギリス中世時代の城塞 (じようさい)
ウィリアム1世が構築したホワイト−タワーに起源をもち,王宮・城塞・国事犯収容所として用いられた。現在は古今の武器や宝物の陳列所となっている。

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