精選版 日本国語大辞典 「ロラン」の意味・読み・例文・類語
ロラン
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プッサンと並んで,フランス17世紀の古典主義風景画を完成した画家。別名クロード・ジュレClaude Gellée。後代のターナーや,イギリス・ロマン派,印象派に多大な影響を与えた。ナンシー近く,シャマーニュの農家に生まれた。1612年に木彫家の兄に従ってドイツのフライブルクに出る。13年ころローマに赴き,風景画家タッシAgostino Tassi(1580-1644)のもとで,ついでナポリのドイツ人画家ワルスGoffredo Waelsのもとで,それぞれ絵画の手ほどきをうける。25年ナンシーにもどり,カルメル会教会のフレスコ画を手がけ,27年ふたたびローマにもどった後は,ここに定住。33年アカデミア・サン・ルカの会員となり,教皇ウルバヌス8世,スペインのフェリペ4世ら多くの顧客にめぐまれた。作風は,まずタッシの影響からはじまり,ナポリ時代に,その風光明美な港湾の姿に強い印象をうけ,これがその後一生,彼の風景画を支配することとなる。後期マニエリスムの画家A.エルスハイマーやP.ブリルのスタイルが,彼の建築モティーフの表現方法に反映している。40-60年代には,古典古代の神話主題や宗教上の主題を,ローマ近郊でのデッサンを基礎にして,豊かな自然感情をおりこんで描出し,成熟期を迎える。当時のローマでは,北方オランダの風景画とは異なった,量塊性の強い重厚な自然の再現が好まれた(プッサンやS. ローザがその代表)。プッサンと比べて,ロランの作品は,空の広がりと海上に照りはえる太陽の光に特色がある。36年以降,自作をデッサン化して収録した目録《真理の書》を残している。
→風景画
執筆者:木村 三郎
フランスの作家。ブルゴーニュ地方,クラムシーの中産階級の旧家に生まれる。エコール・ノルマルで歴史学を専攻。《リュリとスカルラッティ以前のヨーロッパ・オペラの歴史》(1895)で文学博士号を取得。母校で芸術史を,次いでパリ大学で音楽史を教えた。文壇へは《狼》(1898),《ダントン》(1900),《7月14日》(1902)などの史劇作品でデビューしたが,これらの〈民衆演劇〉の試みは成功しなかった。〈英雄とは思想や力で勝利した者ではなく,心によって偉大であった者のことである〉という人道主義的ヒロイズム観に立って《ベートーベン》(1903),《ミケランジェロ》(1906),《トルストイ》(1911)など一連の伝記を著した。またインド思想への共感から《ガンディー》(1923),《ラーマクリシュナ》(1929)なども書いた。しかし,ロランの最高の作品は大河小説のさきがけとなった《ジャン・クリストフ》10巻(1904-12)である。ひとりの天才的作曲家の生涯を描きつつ,創造力と真摯,勇気,熱誠,そして人間愛をうたいあげた。第1次大戦中,中立国スイスにあって,真理と正義と愛の名において反戦平和を説いた諸論文は《戦火を越えてAu-dessus de la mêlée》(1915)にまとめられた。大戦後,とりわけ30年代には反戦反ファシズムの立場からソビエト社会主義への傾斜を深めたが,このような思想遍歴は小説《クレランボー》(1920),《魅せられたる魂L'âme enchantée》(1922-33)のうちにたどることができる。1916年ノーベル文学賞受賞。
執筆者:加藤 晴久
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
1866~1944
『ジャン・クリストフ』ほか多数の小説,戯曲などで知られるフランスの作家。第一次世界大戦中はスイスから平和を訴え,大戦後は反戦,反ファシズム運動の先頭に立った。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…人間の心の微妙なゆらめきを,ひめやかな絹の手触りと薄暮の田園の哀愁をこめて描き出した洗練の極致ともいうべきワトーの作品を思い出してみれば,このことはおのずから明らかであろう。落日の一瞬の輝きを反射する水面の変化を捉えたクロード・ロランの海景や,あるいは大気と光の移り変りをそのまま画面に定着しようとした印象派の鋭敏な感覚も,その例証である。
[堅実な現実感覚]
さらに,フランス美術の第4の特質として,その堅実な現実感覚を挙げなければならない。…
…フランスの作家R.ロランの長編小説。全10巻。…
…日独伊三国軍事同盟締結と大政翼賛会,大日本産業報国会の結成は,40年のことであったが,このときにはすでに反ファシズムの組織と言論は皆無に近かった。【鈴木 正節】
【国際的な反ファシズム文化運動】
国際的な反ファシズム文化運動の先駆としては,反戦を掲げてロマン・ロランとバルビュスが呼びかけ,ゴーリキー,アインシュタイン,ドライサー,ドス・パソスらが発起人に名を連ねる,1932年8月アムステルダムの国際反戦大会に29ヵ国2200名を集め,翌年パリで第2回大会を開催した〈アムステルダム・プレイエル運動〉,フランスの急進社会党代議士ベルジュリが主唱し,J.R.ブロック,ビルドラックらの協力した33年5月結成の〈反ファシズム共同戦線〉,ジッド,マルローらによる〈革命作家芸術家協会〉の33年における反ファシズム運動などがあげられる。しかし,それが政治的立場を超えた知識人の統一運動として定着するのは,34年の2月6日事件をまたなければならない。…
…52年逮捕をのがれてイギリスへ亡命し,家庭教師として生計を立てるかたわら,ゲルツェンをはじめとする多数の亡命革命家たちと交際する。62年イギリスを去り,パリへ赴き,さらに晩年はイタリアに居住し,それらの地でR.ワーグナー,ニーチェ,ロマン・ロランらと親交,とりわけロランの若き日に多大な影響を与えた。自叙伝《一理想主義者の回想》(1876)ならびにロランとの往復書簡がとくに有名である。…
※「ロラン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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