ロビンソン(Frank Robinson)(読み)ろびんそん(英語表記)Frank Robinson

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ロビンソン(Frank Robinson)
ろびんそん
Frank Robinson
(1935―2019)

アメリカのプロ野球選手(右投右打)、監督。大リーグ(メジャー・リーグ)のシンシナティ・レッズボルティモア・オリオールズロサンゼルス・ドジャースカリフォルニア・エンゼルス(現、ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム)、クリーブランド・インディアンスでおもに外野手としてプレー。史上唯一、両リーグで最優秀選手(MVP)を受賞、また三冠王も獲得した球史に残る強打者である。クリーブランド・インディアンス、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ボルティモア・オリオールズ、モントリオール・エクスポズ(現、ワシントン・ナショナルズ)で監督を務める。

 8月31日、テキサス州ボーモントで生まれる。マックリーモンズ高校から1953年、レッズ入団、1956年に大リーグへデビュー、1年目にホームラン38本を放って新人王に選ばれた。1965年までレッズに在籍したが、その間1958年にゴールドグラブ賞、1961年にはレッズの21年ぶりのリーグ優勝に貢献して最優秀選手(MVP)に選出された。1966年にオリオールズに移籍、同年、打率3割1分6厘、ホームラン49本、打点122で三冠王を獲得、オリオールズに22年ぶりとなるリーグ優勝をもたらした。さらにドジャースとのワールド・シリーズを制して球団初の世界一となる原動力になり、MVPに選ばれた。その後、1972年ドジャース、1973年エンゼルス、1974年の途中からインディアンスに在籍して1976年限りで引退した。インディアンスでの2年目となる1975年から監督を兼務、史上初の黒人監督であった。しかし1977年の途中で解任され、1981年から4年間はジャイアンツの監督となった。1988年からはオリオールズで指揮をとり、1989年には2位ながら最優秀監督賞を受賞した。1991年限りで監督を辞任し、1999年からは大リーグ機構の要職についていたが、2002年から監督としてエクスポズ(現、ナショナルズ)を率いた。しかし、十分な戦力が整わなかったこともあって、チームは上昇することなく、2006年のシーズン後に勇退した。

 選手としての21年間の通算成績は、出場試合2808、安打2943、打率2割9分4厘、本塁打586、打点1812。獲得したおもなタイトルは、新人王、首位打者1回、本塁打王1回、打点王1回、MVP2回。監督としての通算成績(16年)は、1065勝1176敗、最優秀監督賞1回。1982年に野球殿堂入り。

[出村義和 2019年2月18日]

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