ロス(英語表記)loss

翻訳|loss

精選版 日本国語大辞典 「ロス」の意味・読み・例文・類語

ロス

[一] (William Parsons, 3rd Earl of Ross ウィリアム=パーソンズ=サード=アール=オブ━) イギリスの天文学者。オリオン座大星雲など、多くの星雲を発見した。(一八〇〇‐六七
[二] (Sir James Clark Ross サー=ジェームズ=クラーク━) イギリスの探検家。一八三一年、北極探検において北磁極を発見。一八三九~四三年、イギリス海軍の南極探検隊長として南極大陸を探検し、ロス海など多くの地理的発見をした。(一八〇〇‐六二
[三] (Sir Ronald Ross サー=ロナルド━) インド生まれのイギリスの細菌学者。マラリア病原体の発見により、一九〇二年ノーベル生理学・医学賞を受賞。(一八五七‐一九三二

ロス

〘名〙 (loss)⸨ロッス⸩ 無駄にすること。また、そのもの。損失。損害。〔外来語辞典(1914)〕
※白薊(1956)〈舟橋聖一〉「貴重な時間をロスするばかりでなく」

ロス

ロサンゼルス」の略称。

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デジタル大辞泉 「ロス」の意味・読み・例文・類語

ロス(loss)

[名](スル)
むだに費やすこと。損失。「ロスを減らす」「時間をロスする」
失うこと。喪失。「ペットロス
[類語]損する割を食う本が切れる穴をあける割が悪い間尺に合わない食い込む足が出る大穴丸損マイナス損失損害実害赤字被害不利益損亡そんもう欠損実損差損出血持ち出し採算割れ

ロス(Philip Roth)

[1933~2018]米国の小説家。1959年、ユダヤ系米国人の若者を描いた「さようならコロンバス」でデビューし、全米図書賞を受賞。その後も数多くの作品を発表し、米国を代表する小説家として活躍した。1998年「アメリカンパストラル」でピュリッツァー賞を受賞。作「ポートノイの不満」「素晴らしいアメリカ野球」など。

ロス(James Clark Ross)

[1800~1862]英国の軍人・探検家。北極探検隊に参加し、北磁極を確定。南極探検ではエレブス山・テラー山・ロス海などを発見。

ロス

ロサンゼルス」の略。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロス」の意味・わかりやすい解説

ロス
Roth, Klaus Friedrich

[生]1925.10.29. ブレスラウ
ドイツ生まれのイギリスの数学者。1945年ケンブリッジ大学ピーターハウス・カレッジ卒業,ロンドン大学で 1948年理学修士号,1950年博士号取得。1948~66年ロンドン大学で教鞭をとったのち, 1988年までインペリアル・カレッジ・ロンドンの教授を務めた。1958年,イギリスのエディンバラで開催された国際数学者会議で,整数論に関する業績によりフィールズ賞を受賞した。おもな研究分野は整数論,とくに解析数論で,代数的数の有理数による近似の理論において大きな業績を上げた。αを無理数とすると不等式|p/q-α|<1/q2を満たす有理数 p/q が無限個存在する。この拡張として,代数的数αに対して,|p/q-α|<1/qμを満たす有理数 p/q が無限個存在するような,指数μの上限を求める問題が考えられる。この問題については 1844年フランスのジョゼフ・リウビル,1908年ノルウェーのアクセル・トゥエ,1921年ドイツのカール・ルートウィヒ・ジーゲル,1947年アメリカ合衆国のフリーマン・J.ダイソンらの研究により改良が加えられていったが,最終的には 1955年にロスが,どのような代数的数に対しても,このような指数μの上限は 2であることを証明した。アトル・セルバーグによるふるいの方法による解析数論の業績でも知られる。

ロス
Roth, Philip

[生]1933.3.19. ニュージャージーニューアーク
[没]2018.5.22. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の小説家。フルネーム Philip Milton Roth。ユダヤ系。シカゴ大学卒業後,母校で 2年間教鞭をとり,その間『ニューヨーカー』などの雑誌に短編を発表。26歳のとき出版した,中・短編からなる『さようなら,コロンバス』Goodbye, Columbus(1959)で一躍認められ,全米図書賞ほか五つの賞を独占した。その後,長編『自由を求めて』Letting Go(1962),『彼女が善良だったとき』When She Was Good(1967),奔放な俗語の駆使と大胆な性描写で話題を呼んだ『ポートノイの不満』Portnoy's Complaint(1969),ニクソン政権を風刺した『われらのギャング』Our Gang(1971),フランツ・カフカの『変身』を思わせる『乳房になった男』The Breast(1972),プロ野球を素材にアメリカ社会を痛烈に批判した『偉大なアメリカ小説』The Great American Novel(1973),告白小説『男としてのわが生活』My Life as a Man(1974)と,次々に多彩な作品を発表した。全米図書賞(1960,1995)のほか,ピュリッツァー賞(1998),ペン/フォークナー賞(1994,2001,2007)など受賞多数。

ロス
Roth, Alvin E.

[生]1951.12.18. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカ合衆国の経済学者。フルネーム Alvin Eliot Roth。マーケットデザインの先駆者。16歳で高校を中退,コロンビア大学で学び,1971年に理学士号を取得した。その後,スタンフォード大学で 1973年理学修士号,1974年博士号を取得,1974~82年イリノイ大学で教鞭をとった。1982年にピッツバーグ大学A.W.メロン経済学講座教授に就任,1985~98年経営学の教授を務めた。1998年にはハーバード大学ジョージ・ガンド経済学講座教授に任命され,2013年に名誉教授となる。2012年からスタンフォード大学で教鞭をとる。マッチング理論に基づくゲール=シャプリーアルゴリズムの妥当性に気づき,実証的研究を通して,それがマーケットの機能を明らかにするとともに,成功している組織における安定性の重要性を示すことができることを発見。この理論を用いて,アメリカの研修医と研修先の病院をマッチングさせるプログラムを手がけた。2012年,「安定配分理論とマーケットデザインの実践」に関する功績により,ロイド・シャプリーとともにノーベル経済学賞を受賞した。シャプリーの理論と実証的研究,およびロスのマーケットデザインへの応用を組み合わせることで,組織や個人にとって相互の利益となる効率的なマッチングを行ない,さまざまな市場で資源をよりよく配分することが可能になった。

ロス
Ross, Betsy

[生]1752.1.1. ペンシルバニア,フィラデルフィア
[没]1836.1.30. ペンシルバニア,フィラデルフィア
アメリカ合衆国の国旗を最初につくったとされる人物。フィラデルフィアのクェーカー教徒。室内装飾家の見習いとなったのち,1773年同業のジョン・ロスと結婚し,1775年までに自分たちの店を構えた。1776年夫の死後も室内装飾の仕立業を続け,その後 2度再婚したのちも,夫や娘たちといっしょに旗を含む装飾品をつくった。ロスがアメリカの国旗の製作に携わったという話は,1870年に孫のウィリアム・キャンビーがペンシルバニア歴史協会に送った論文によって広まった。それによると,1776年6月にジョージ・ワシントン大陸会議の委員会の要請で星条旗をつくったとされる。この旗は 1777年6月14日正式に国旗に制定された。ロスが海軍の旗をつくったことは知られているが,国旗をつくったという話については確固たる証拠はない。

ロス
Ross, John

[生]1790.10.3. アメリカ,テネシー,ルックアウトマウンテン近郊
[没]1866.8.1. アメリカ,ワシントンD.C.
アメリカインディアン,チェロキー族族長。インディアン名を Koowe(Coowescoowe)という。スコットランド人の交易商人とチェロキーの混血で,白人社会で高等教育を受けた。ジョージア州におけるチェロキーへの圧迫に抵抗し,1819~26年チェロキー国民会議議長,28~39年東部チェロキー大族長。戦争以外のあらゆる手段を用いてチェロキーの自由と権利を守るために戦った。戦いに敗れ,38年オクラホマの指定居留地に強制移住させられた。そのときチェロキーの通った道は「涙の踏みわけ道」と呼ばれる。ロスはその地で東・西部チェロキーを大同団結させてその族長となった。ワシントン D.C.に事務所を開き,死ぬまでチェロキー条約締結 (1866) に努力した。

ロス
Ross, Sir John

[生]1777.6.24. バルサロック
[没]1856.8.30. ロンドン
スコットランド出身の海軍軍人,北極探検家。極地探検家ジェームズ・クラーク・ロスの叔父。1794年海軍に入り,フランス革命戦争ナポレオン戦争スウェーデンの艦隊を指揮した。1818年の最初の北極探検は失敗したが,1829~33年の第2回北極探検は成功で,カナダ北西部をおもに探検し,貴重な成果を上げた。1850年ジョン・フランクリン捜索を目的とした第3回探検は失敗。主著 "A Voyage of Discovery"(1819),"Narrative of a Second Voyage in Search of a North-West Passage"(1835)。

ロス
Ross, Sir James Clark

[生]1800.4.15. ロンドン
[没]1862.4.3. バッキンガムシャー,エアーズベリー
イギリスの海軍軍人,北極,南極探検家。 1812年海軍に入り,18年最初の北極探検に参加。その後数回にわたり北極探検を行い,31年北磁極の位置を確定した。 39~43年南極を探検。 41年ロス海を発見。探検の目的は磁気観測と南極の磁極に達することであったが失敗,途中ビクトリアランドを発見。 48~49年 J.フランクリンの捜索を行なった。主著"A Voyage of Discovery and Research in the Southern and Antarctic Regions" (1847) 。

ロス
Rosse, William Parsons, 3rd earl of

[生]1800.6.17. ヨーク
[没]1867.10.31. モンクスタウン
イギリスの天文学者。伯爵。下院議員(1821~34),上院議員(1841)。大型望遠鏡製作の夢にとりつかれ,幾多の経験を積んだのち,1845年に青銅製の反射鏡をもつ直径 72インチ(約 1.8m),長さ約 16.5mに及ぶ大望遠鏡を製作,星雲星団銀河の観測・研究を行なった。特に渦状銀河の形を明らかにした功績は大きい。また銀河と星団の構造上の差異を明らかにした。

ロス
Ross, Sir Ronald

[生]1857.5.13. アルモラ
[没]1932.9.16. ロンドン
イギリスの医師。インド生れで,母国で医学を学んだのちインドに戻り,1892年からマラリアの研究に着手した。マラリア原虫ハマダラカによって媒介されることを発見してマラリア撲滅の突破口を開き,その功により 1902年のノーベル生理学・医学賞を受賞。 02~12年リバプール大学熱帯医学教授。 12年ロンドンのキングズカレッジ病院熱帯病科の医師,26年ロス熱帯病研究所の所長となる。主著"The Prevention of Malaria" (1910) 。

ロス
Ross, Harold Wallace

[生]1892.11.6. コロラド,アスペン
[没]1951.12.6. ボストン
アメリカのジャーナリスト。『スターズ・アンド・ストライプス』紙などの編集に携わったのち,1925年,雑誌『ニューヨーカー』 The New Yorkerを創刊,死ぬまで編集長を務め,サーバー,E.B.ホワイト,W.ギッブズらの優れた編集陣の協力を得て,洗練された誌面をつくり上げ,多くの新人を発掘した。

ロス
Ross, Sir William David

[生]1877.4.15.
[没]1971
イギリスのギリシア古典学者,倫理学者。 1900年オックスフォード大学オリエル学寮講師,23年道徳哲学教授,29年同学寮学長。アリストテレス研究の第一人者で,その校訂,注解,翻訳を多く出版。オックスフォード版英訳全集の編集者。『形而上学』『自然学』などアリストテレス注解のほか"The Right and the Good" (1930) などの倫理学書もある。

ロス
Ross, George

[生]1730.5.10. デラウェア,ニューカッスル
[没]1779.7.14. フィラデルフィア
アメリカ独立革命期の法律家。独立宣言署名者の一人。ペンシルバニアのランカスターで法律家として活躍。 1776年ペンシルバニア邦憲法制定会議副議長となり,特に権利宣言条項のために努力。 74~77年大陸会議代表。 79年ペンシルバニア海事裁判所判事。

ロス
Ross, Martin

[生]1862.6.11. ゴールウェー
[没]1915.12.21. コーク
アイルランドの女流作家。本名 Violet Florence Martin。旧家に生れ,1886年から従姉イーディス・ソマービルと共作で 19世紀のアイルランド社会を描いた小説を発表。代表作『真のシャーロット』 The Real Charlotte (1894) 。

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改訂新版 世界大百科事典 「ロス」の意味・わかりやすい解説

ロス
Frank Elmore Ross
生没年:1874-1960

アメリカの天文学者。1896年カリフォルニア大学を卒業後,ネバダ大学数学講師,航海暦局助手,カーネギー研究所研究員などを務め,この間S.ニューカムの指導で惑星や衛星の運動を研究した。1905年メリーランド州ゲゼルスバーグの国際緯度観測所長となり,従来緯度観測に用いられてきた天頂儀を改良してPZT(写真天頂筒)を発明した(1911)。ロスはこの新装置で14年10月までの450夜に6944個の星を写したが,翌年PZTが海軍天文台に移転したのを機に,コダック社の研究員となり,写真技術,レンズ設計などに携わった(1915-24)。24年ヤーキス天文台に入り,39年に引退したが,この間,星野写真を撮って昔のバーナードの星野写真と比較することによって,31年までに379個の変光星と869恒星の固有運動を発見した。なお,この間シカゴ大学助教授(1924-28),同教授(1929-39)でもあった。引退後も,コダック社での経験を生かして,ウィルソン山天文台でレンズの設計を続け,大反射望遠鏡のコマ収差修正装置やリック天文台の50cm天体写真儀の設計に携わるほか,ロスの設計した各種のレンズは天文学以外の分野でも使われた。
執筆者:

ロス
William Parsons, 3rd Earl of Rosse
生没年:1800-67

イギリスの天文学者。本名ウィリアム・パーソンズ。アイルランドの貴族で父の死後ロス伯となる。1822年オックスフォード大学を卒業。1821-34年アイルランド選出の下院議員となり,45年には上院議員に選ばれた。1827年から望遠鏡の製作を手掛け,翌年には蒸気で動く金属鏡研磨機を発明したり,反射率の高い合金を見つけたりして苦心の末,39年に口径90cm,42年には口径180cmの当時世界最大の金属反射鏡を完成した。重量4tのこの巨大な鏡は,45年,パーソンズタウンの所有地に3年の歳月と1万2000ポンドの巨費をかけ,全長17mの鏡筒に装備された。巨大なために鏡筒の動きはおもに子午面内に限られ,そのうえ土地の天候が天体観測に向かないこともあって,大反射鏡の性能は十分に発揮できなかった。それでも観測開始の年には渦巻星雲を発見し,49年にM51を恒星に分解したのを皮切りに,多数の星雲が星の集団であることを示した。1848-54年ローヤル・ソサエティ会長を,62年からダブリン大学総長を務めた。
執筆者:

ロス
Alf Ross
生没年:1898-1980

デンマークの法哲学者。コペンハーゲン大学教授。法律学上の基本概念である権利,妥当性等の分析においてスウェーデンのA.ヘーガーシュトレームから出発し,それらが意味上の指示物semantic referenceをもたない形而上学概念であることをいったん受け入れるが,そのあとでそれらを科学的言語に再構成せんとする。すなわちロスは規範命題と存在命題との基本的相違を認めず,前者を後者に変換し,それと社会的事実との対応を求め,その有無によってその命題の真偽を決定せんとする。ロスのこの方法論はもはやウプサラ学派のそれではなく論理実証主義のそれであり,他方,権利や法の妥当性に関する命題を存在命題に改鋳し,それらに対応する事実を裁判所の判決,その予測に置く点で,彼は北欧リアリズム法学を離れてアメリカ・リアリズム法学に接近したといえる。主著は《法と正義》(1958),《指令と規範》(1968)。
執筆者:

ロス
Philip Roth
生没年:1933-

アメリカのユダヤ系作家。バックネル大学卒業後,シカゴ大学で修士号を取得。大学講師のかたわら発表した作品を集めた処女作品集で,ユダヤ人の文化的,宗教的,また世代間の摩擦・緊張を扱った《さようなら,コロンバス》(1959)により全米図書賞を得て新進作家となる。その後,ユダヤ人と非ユダヤ女との結婚生活の軋轢(あつれき),崩壊を扱った《自由を求めて》(1962),男を破滅させ,自分も破滅する《ルーシーの悲しみ》(1967),厳格で愛情の権化のようなユダヤ的母親の影響から自立しようとしてできない男の悲喜劇《ポートノイの不満》(1969),野球に託してアメリカ文化を痛烈に風刺した《すばらしいアメリカ野球》(1973),自伝的色彩の濃い,自立したおとなとして女を愛することのできない男の悲劇を描いた《男としてのわが人生》(1974)などを発表。鋭敏な心理描写と痛烈な風刺精神と粘り強い文体で,現代アメリカを代表する作家の一人である。
執筆者:

ロス
James Clark Ross
生没年:1800-62

イギリスの極地探検家。ロンドンで生まれ,海軍士官となり18歳でおじのジョン・ロスJohn Ross(1777-1856)の北西航路探検に同行した。1819-33年北極海を5回探検し,31年には北磁極を発見した。39-43年南極探検に転じ,3回南極海を航海して南緯78°10′まで達し,ロス海,ビクトリア・ランドや活火山エレバスなどを発見した。その探検の成果は著書《南方および南極地方の発見と調査の航海》として47年に発表された。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ロス」の意味・わかりやすい解説

ロス

英国の極地探検家。1818年以降叔父ジョンJohn Ross〔1777-1856〕とともに北西航路探検に加わった。1819年―1833年に数回北極海を探検し,1831年には北磁極を確認した。1839年―1843年には南極探検を行い,ビクトリア・ランド,エレバス山などを発見した。ロス海,ロス氷棚などは彼の名にちなむ。
→関連項目南極大陸北極地方

ロス

米国のユダヤ系作家。シカゴ大学を卒業,各地の大学で英語を教えた。1959年に,ユダヤ人を描いた短編六つからなる《さようならコロンバス》を発表して成功。《ポートノイの不満》(1969年),《乳房になった男》(1972年)では性的主題を扱う。《欲望学教授》(1977年)以後ネーサン・ザッカーマンを主人公にした半自伝的連作を発表。《背信の日々》(1986年)はポスト・モダン小説として評価が高い。

ロス

英国の医学者。軍医学校で学び,インドで軍医として勤務し,マラリアの研究に従事。マラリア原虫はカが媒介することを発見し,その生活環を研究。1902年ノーベル生理医学賞。

ロス

ドイツ生れの英国の数学者。数論の研究により,1958年フィールズ賞

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367日誕生日大事典 「ロス」の解説

ロス

生年月日:1866年12月12日
アメリカの社会学者
1951年没

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世界大百科事典(旧版)内のロスの言及

【写真天頂筒】より

…天文緯度と恒星時の観測専用望遠鏡の一種。1911年アメリカのロスF.E.Ross(1874‐1966)によって原型が作られ,アメリカ海軍天文台で改良が重ねられた。鏡筒は直立して動かない。…

【写真天頂筒】より

…天文緯度と恒星時の観測専用望遠鏡の一種。1911年アメリカのロスF.E.Ross(1874‐1966)によって原型が作られ,アメリカ海軍天文台で改良が重ねられた。鏡筒は直立して動かない。…

【フッカー】より

…グラスゴー大学で医学の学位を取得。ロスJ.C.Rossの南極探検に,軍医補兼博物学者として参加する(1839‐43)。その探検の植物報告書をまとめ,《南極植物誌》(1844‐47)などを公刊する。…

【南極】より


[地形,地質]
 南極大陸はほぼ南極圏内にあり,それを大きく二分する南極横断山地Transantarctic Mountainsによって,東半球に属する古い大陸塊の東南極大陸(大南極もいう)と,地質年代がこれより新しい西南極大陸(小南極)とに分けられる。また太平洋側からはロス海,大西洋側からはウェッデル海が深く湾入している。西南極大陸からは南極半島が南アメリカ大陸方向に延びている。…

【フッカー】より

…グラスゴー大学で医学の学位を取得。ロスJ.C.Rossの南極探検に,軍医補兼博物学者として参加する(1839‐43)。その探検の植物報告書をまとめ,《南極植物誌》(1844‐47)などを公刊する。…

【北極】より

…18世紀に入ると政府主導の地理探査が始まり,南極を一周したイギリスのJ.クックは太平洋を北上しアラスカ西端に達した。1818年イギリスのロスJohn Ross(1777‐1856)は,バフィン湾から西へ続くランカスター海峡に入った。ロスは1829‐33年バフィン島の西のブーシア湾で2年越冬したが,甥の副隊長ジェームズ・クラーク・ロスJames Clark Ross(1800‐62,後年南極ロス海発見)は地磁気の専門家で,1831年に北磁極(北緯69.5゜,西経95゜)を発見した。…

※「ロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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