ロジエ(英語表記)Charles Latour Rogier

改訂新版 世界大百科事典 「ロジエ」の意味・わかりやすい解説

ロジエ
Charles Latour Rogier
生没年:1800-85

ベルギーの政治家。サン・カンタン生れ。リエージュで弁護士となり,ウィーン会議(1814)でネーデルラント王国に合併されたベルギーの自由と独立を主張し,1830年ベルギー独立革命に際して臨時政府憲法制定議会のメンバーになった。31年国会議員に選出され,32-34年内相に任ぜられ,ヨーロッパ大陸最初の鉄道(ブリュッセルメヘレン)を建設した。公共事業相(1840-43)になったころから,彼の率いる自由主義派とカトリック派の対立が始まり,保守的で強大なカトリック勢力から国家を解放しようとする世俗化政策と立憲制の推進をめざした。46年自由党を結成して自由党の全盛時代を築き,2度にわたって自由党内閣の首相(1847-52,1857-67)をつとめ,同時に内相あるいは外相を兼任した。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロジエ」の意味・わかりやすい解説

ロジエ
Rogier, Charles Latour

[生]1800.8.17. サンカンタン
[没]1885.5.27. ブリュッセル
ベルギーの政治家。ベルギー建国者の一人。北フランスに生れ,リエージュに移って弁護士になり,1824年以後ネーデルラントのベルギー支配を非難する雑誌を発行。 30年8月ブリュッセル独立運動勃発とともに,その指導に活躍,独立の達成と世襲王制の採用を説き,ザクセン=コーブルク公のレオポルド1世を王に推した。 31年アントワープ (アントウェルペン) 知事,32~34年内相。 40年には公共事業・教育・文化相,47~52年自由党内閣の首相兼内相になった。 57年より再び首相兼内相,61年外相。 63年アントワープ港に対するネーデルラントの関税権問題を解決した。 67年政界を引退

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世界大百科事典(旧版)内のロジエの言及

【フレール・オルバン】より

…故郷リエージュでの弁護士,市会議員を経て,1847‐94年国会議員となる。まず,ロジエ自由党内閣(1847‐52)の公共事業相として入閣し,48‐52年財務相となり,財政改革をして自由貿易への移行を準備し,50年国立銀行を創設。57年の地方選挙で自由党が大勝し,再びロジエ内閣が組織されると財務相として老齢のロジエを助けた。…

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