レントゲン(Wilhelm Konrad Röntgen)(読み)れんとげん(英語表記)Wilhelm Konrad Röntgen

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

レントゲン(Wilhelm Konrad Röntgen)
れんとげん
Wilhelm Konrad Röntgen
(1845―1923)

ドイツの物理学者。ラインラントのレンネップに生まれる。幼時をオランダで過ごし、ユトレヒト大学、およびスイスチューリヒ工科大学で学んだ。チューリヒでクントクラウジウスの影響から物理学研究に進み、1869年学位を得てクントの助手。のちクントとともにウュルツブルク大学を経てストラスブール大学に移り、1874年同大学講師、1876年同教授、1888年コールラウシュの後を継いでウュルツブルク大学教授、その後1900~1920年ミュンヘン大学教授。

 1870年の気体の比熱に関する研究を皮切りに、結晶の熱伝導、電場や磁場の影響による光の偏光面の変化、水や他の流体における圧力と温度の間に成り立つ関数の諸変形についての研究、および「レントゲン電流」の発見(1888)など広範な実験物理学上の業績をあげ、1895年秋、彼の最大の業績であるX線の発見につながる研究を行った。1895年7月、エルランゲン大学教授のウィーデマンEilhard E. G. Wiedemann(1852―1928)とプラハ大学教授ヤウマンGustav Jaumann(1863―1924)がそれぞれ「陰極線同族」の新輻射(ふくしゃ)線(「放電線」)と、「希薄気体中、大静電気力の存在下で陰極線の特性をもつ」電磁場の縦波(「縦の電気線」)の存在を予言レントゲンはその影響を受けて、1895年9月以降「不可視輻射線」を追究し、以下の過程を経てX線を発見したと推定される。まずレーナルトの白金円筒付き管を、錫(すず)製の箱でなく(大静電気力を通すため)黒い厚紙で覆って、新輻射線を管の外に引き出す実験を行い、たぶんレーナルトと同様に大距離でそれに起因すると思われる現象をみいだし、以後「熱狂的な」研究を行って、11月初め、白金陽極付き「ヒットルフ管」を用いて、陰極線、「レーナルト線」など既知の不可視輻射線に比べて異常に大きい透過力をもつ輻射線が生じていることを示すある「光現象」をみいだした。そこで、多数の他の種類の管を用いて、おそらくより高電圧大電流で同様の実験を繰り返し行い、その新輻射線が、程度の差こそあれ管の種類にかかわりなく発生する普遍的存在であることを確かめ、さらに12月末まで透過度をはじめその諸特性について詳細に研究し、その内容を12月28日付けの歴史的論文「新しい種類の輻射線について」(第一報)で発表した。

 この論文は刊行直後から科学者、医学者をはじめ、ジャーナリズムに大センセーションを巻き起こした。というのは、新輻射線つまりX線は1000ページの本も、厚い木の板も通過する強力な透過性をもち、金属板ではその作用は弱まり、厚さ0.5ミリメートルの鉛板ではほとんど不透過になる。その性質を利用すればX線透視は可能である。実際、彼が1895年11月中に撮影した夫人の手の骨などのX線写真は、異常なほど関心をよんだ。その渦中にあっても1896年から1897年にかけて精力的に研究を続け、X線の線量・線質測定の開始、あらゆるガスX線管の原型となる凹面鏡型陰極と白金陽極(対陰極)付きの管の発明など、X線研究の基礎を確立した。X線の発見は、1896年および1897年のベックレルによる放射能の発見とJ・J・トムソンによる電子の発見の直接の契機にもなった。現代物理学の出発点をしるす科学史上最大の発見の一つといえよう。この業績によってレントゲンは、1901年の第1回ノーベル物理学賞を受賞した。

[宮下晋吉]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

靡き

1 なびくこと。なびくぐあい。2 指物さしものの一。さおの先端を細く作って風にしなうようにしたもの。...

靡きの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android