レオ6世(読み)レオろくせい(英語表記)Leo VI Sophus

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオ6世」の意味・わかりやすい解説

レオ6世
レオろくせい
Leo VI Sophus

[生]866
[没]912.5.12.
ビザンチン皇帝 (在位 886~912) 。バシリウス1世の息子で,父の死後即位。哲学,神学,文学に理解が深く (ゆえに「賢者」 Sophusと呼ばれる) ,聖書解説,弔辞,演説,詩などをみずから執筆した。『ユスチニアヌス法典』の改訂をはかり,法学者ジムバチウスに命じ,60巻から成る中世ビザンチン最大の法令集『バシリカ法典』 Ta Basilikaを編纂。さらに 113通の勅令を『法の改正と整理』 Hai tōn nomōn epanorthōseis kai anakatharseisの名のもとに発布,法実務の不備を補った。対外政策には失敗が多く,ブルガリアのシメオン王にブルガロフィゴンの戦いで敗れ (896) ,バルカンの領土縮小を招いた。さらにシチリアタオルミナ (902) ,帝国第2の都市テッサロニカ (904) がイスラム勢力下に入り,エーゲ海の制海権すら失った。しかしキエフのオレグ公とは通商条約を結び (911) ,ロシアとの交渉の発端をつくった。内政的にはみずからの4度の結婚歴のため教会と対立するにいたった。

レオ6世
レオろくせい
Leo VI

[生]?. ローマ
[没]928.12?. ローマ?
ローマ出身の第123代教皇(在位 928.5.~12.)。教皇として登位する前は司祭枢機卿(→カーディナル)を務めた。当時ローマで勢力をふるっていたクレスケンチウス家の長で元老院議員のマロツィアにより,先代ヨハネス10世(在位 914~928)が廃位され,代わりに選出された。おもだった業績は,ダルマチアにおいて聖職位階制(→ヒエラルキア)の管轄権を規制したことである。

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改訂新版 世界大百科事典 「レオ6世」の意味・わかりやすい解説

レオ[6世]
Leo Ⅵ
生没年:866-912

ビザンティン帝国皇帝。在位886-912年。ギリシア名レオンLeōn。バシレイオス1世の息子で父の死後即位。学芸全般に造詣の深い文人皇帝で,〈賢帝〉と呼ばれた。〈ローマ法大全〉の改訂を図り《バシリカ法典》60巻を刊行,さらに113の勅令を法整備のため発布した。だが対外的にはブルガリアのシメオン王に敗れ(896),シチリアのタオルミナをイスラム勢力に奪われた(902)。キエフのオレーグ王と通商条約を締結し(911),この方面でのビザンティンの影響力を伸ばした。
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367日誕生日大事典 「レオ6世」の解説

レオ6世

生年月日:866年9月19日
ビザンチン皇帝(在位886〜912)
912年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のレオ6世の言及

【バシリカ法典】より

…ビザンティン帝国レオ6世(在位886‐911)により10世紀初頭,ユスティニアヌス1世の立法(いわゆる〈ローマ法大全〉)を基礎として制定公布された60巻のギリシア語で書かれた法典で,その呼称はギリシア語で〈王の法〉を意味する。学説彙纂および勅法彙纂の6世紀に成立したギリシア語要約,ならびに新勅法を,場合により修正・加除のうえ,事項ごとに巻・章に分け収録したもので,全体の約3分の2が今日に伝えられる。…

※「レオ6世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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