レオン王国(読み)れおんおうこく(英語表記)Kingdom of León

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レオン王国」の意味・わかりやすい解説

レオン王国
れおんおうこく
Reino de León

中世イベリア半島のキリスト教国の一つ。半島北西部に位置し、国名はローマ軍legioの駐屯地だった首都レオンに由来する。レオン王国は、山岳部のアストゥリアス王国がレオン市周辺に始まる平野に版図を拡大、これに伴って10世紀初頭に首都がオビエドからレオンに移ったことによって成立した(1910)。イスラム教徒のイベリア侵攻後いち早く成立したアストゥリアス王国を前身とするところから、レオン王国はイスラム教徒によって滅ぼされた西ゴート王国の後継者を自任した。そしてこれの復興を目ざすとともに、半島内の他のキリスト教国に対して宗主権を主張、周辺諸国も10世紀にはこれを容認した。だが、11世紀前半にはおりから勢いを得たナバラの前に屈服、続いてかつては自らの辺境であったカスティーリャが独立するとこれに従来の地位を奪われた。1037年、レオン王国はカスティーリャに合併され、その後一時独立を回復したが、1230年にはカスティーリャ王フェルナンド3世の下で最終的に両国は合体した。

[小林一宏]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオン王国」の意味・わかりやすい解説

レオン王国
レオンおうこく
Kingdom of León

中世のスペイン北西部に存在した王国。現在のレオン,バレンシア,バリャドリド,サモラ,サラマンカ諸領域をその領土としていた。レオン王国の起源はアストゥリアス王アルフォンソ3世の子,ガルシア1世 (在位 909~914) の統治に始る。ガルシアはアストゥリアスの首都をオビエドからさらに南方のレオンに移し,その兄弟のオルドニョ2世 (在位 914~924) が,その地にレオン王国を建設。王国の辺境は多くの城塞が築かれカスティリアと呼ばれたが,10世紀前半,辺境伯フェルナン・ゴンサレスはレオンから独立してカスティリア王国を建設した。 1037年レオン王国はカスティリアのフェルナンド1世 (大王)により併合されてカスティリア=レオン王国となり,アルフォンソ7世 (在位 1126~57) の死まで続いた。その子フェルナンド2世はレオン王 (在位 57~88) となり,王国はカスティリアと関係なく統治された (57~1230) 。レオンとカスティリアとの最後の併合はカスティリア王フェルナンド3世 (在位 17~52) によって行われ (30) ,以後,カスティリア王国の主導権のもとに統治された。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディア 「レオン王国」の意味・わかりやすい解説

レオン王国【レオンおうこく】

中世のイベリア半島北部の小王国。国土回復戦争レコンキスタ)の前進基地で,その初期の10世紀にレオンを主都として成立。11世紀にカスティリャ王国に併合され,一時自立したが,1230年再び併合された。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「レオン王国」の解説

レオン王国(レオンおうこく)
León

910~1037

アストゥリアス王国の後継国家。10世紀後半にカスティリャ伯を筆頭に貴族反乱が頻発し,王国は事実上分裂状態に陥っていく。ナバラ国王サンチョ3世の支配をへて,1037年カスティリャ王国に併合された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「レオン王国」の解説

レオン王国
レオンおうこく
Leon

中世のスペイン北西部にあったキリスト教小王国
ヴァンダル族・西ゴート族・イスラーム勢力の占領をへて,アストリア王国の一部を構成して国土回復運動(レコンキスタ)を進め,カスティリャ王国の分立後はこれに併合された。12世紀に一時独立したが,1230年再びカスティリャ王国に併合された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

脂質異常症治療薬

血液中の脂質(トリグリセリド、コレステロールなど)濃度が基準値の範囲内にない状態(脂質異常症)に対し用いられる薬剤。スタチン(HMG-CoA還元酵素阻害薬)、PCSK9阻害薬、MTP阻害薬、レジン(陰...

脂質異常症治療薬の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android