レオシュ ヤナーチェク(英語表記)Leoš Janáček

20世紀西洋人名事典 「レオシュ ヤナーチェク」の解説

レオシュ ヤナーチェク
Leoš Janáček


1854.7.3 - 1928.8.12
チェコスロバキアの作曲家。
元・ブルノ・オルガン学校校長。
フクヴァルディ生まれ。
11歳の時モラヴィアの中心都市ブルノで聖アウグスティノ会修道院付属学校の聖歌隊に入った。師範学校卒業後、1874〜1875年プラハ・オルガン学校、1879〜1880年ライプツィヒ音楽院、1880年ウィーン音楽院の夏の学校に短期間留学。1881年ブルノ・オルガン学校創立に参加し、同学校の校長就任。1919年プラハ音楽院のブルノ分校を発足させ、’20〜25年作曲の教鞭をとるなど、ブルノとモラヴィアの音楽文化発展に貢献。作曲家としては’04年のオペラ「イエヌーファ」初演名声を得て、’16年プラハ初演、’18年ウィーン初演で国際的に知られるようになった。その後10年間が創作の最盛期で、オペラ「カーチャ・カバノバー」(’19〜21年)、「りこうな女狐の物語」(’21〜23年)など大作を次々と発表。作風としてはモラビア民謡の研究成果に基づいて、単に民族的要素を異国趣味的装飾としてではなく、西欧近代音楽の語法と融合し発展させた。とくに9つのオペラが重要で、話しことばの抑揚を本格的に研究して独自の様式を作り上げた。他の作品にはオペラ「死の家より」(’27〜。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「レオシュ ヤナーチェク」の解説

レオシュ ヤナーチェク

生年月日:1854年7月3日
チェコスロバキアの作曲家
1928年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android