レイテ湾海戦(読み)レイテわんかいせん

改訂新版 世界大百科事典 「レイテ湾海戦」の意味・わかりやすい解説

レイテ湾海戦 (レイテわんかいせん)

1944年10月23~26日,フィリピン周辺海域で行われた日米両艦隊による海戦で,参加兵力(日本側水上艦艇77隻,飛行機約700機,アメリカ側152隻,約1300機),戦闘距離,死傷者数などにおいて史上最大の海戦である。日本側では捷(しよう)一号作戦またはフィリピン(比島)沖海戦と呼ばれる。1944年10月20日,連合軍は中部フィリピンのレイテ島に来攻した。連合艦隊は捷一号作戦計画に基づき,水上艦隊をレイテ湾に突入させ,連合軍の上陸企図破砕を図った。レイテ湾突入には第1遊撃部隊(指揮官栗田健男中将)と第2遊撃部隊(指揮官志摩清英中将)があたり,25日黎明(れいめい)突入と決め,これに対し基地航空部隊でフィリピン東方のアメリカ機動部隊を攻撃する一方,機動部隊本隊(指揮官小沢治三郎中将)をもってこれを北方に誘い出し,その間に栗田艦隊などをレイテ湾に突入させる構想であった。10月24日,25日,基地航空部隊はアメリカ機動部隊を攻撃したが功を奏せず,このため水上部隊は航空援護のないまま航進し,途中潜水艦,航空機などの攻撃により被害をうけ突入できず,栗田艦隊だけがレイテ湾口に到達し,アメリカ護衛空母群と砲火を交えたが,交戦半ばで企図を放棄して基地に帰投し,作戦は失敗に終わった。この海戦で日本側は戦闘艦艇29隻と航空機多数および人員約1万人を失った。アメリカ側の損失は7隻にすぎなかった。この海戦以後,戦闘艦艇としての日本の連合艦隊は存在しなくなった。
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百科事典マイペディア 「レイテ湾海戦」の意味・わかりやすい解説

レイテ湾海戦【レイテわんかいせん】

フィリピンのレイテ島争奪をめぐって1944年10月23〜26日に行われた日米間の海戦。両国海軍がほとんど全力をあげて戦った空前の大海戦で,日本艦隊は突入作戦に失敗し,戦艦武蔵大和・武蔵)をはじめ連合艦隊の主力を失い,以後戦闘艦艇としての連合艦艇はなくなった。→太平洋戦争
→関連項目神風特別攻撃隊台湾沖航空戦ハルゼーレイテ[島]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レイテ湾海戦」の意味・わかりやすい解説

レイテ湾海戦
レイテわんかいせん
Battle of Leyte Gulf

太平洋戦争末期の 1944年 10月 23~25日,フィリピン近海で日米艦隊の間で戦われた海戦。アメリカ軍のレイテ湾上陸を阻止しようとする「捷 (しょう) 1号作戦」の発動により,豊田副武司令長官の率いる連合艦隊が総力をあげて,W.ハルゼー大将の率いるアメリカ第3艦隊に向った。連合艦隊は栗田部隊を主力に西村隊,小沢隊,志摩隊の4隊に分れ,兵力は航空母艦 (空母) 4,戦艦8,重巡洋艦9,主力は陸上基地航空兵力の第1,2航空艦隊で陸・海軍作戦可能機約 500機であった。アメリカ第3艦隊の主力は M.ミッチャー隊の空母9,軽空母8,戦艦6,重巡洋艦4,艦載機 1073機であった。スリガオ海峡,サマール沖,エンガノ岬沖などが主戦場となり,日本側は空母が全滅し,戦艦3,重巡洋艦6,その他 15と航空機の大半を失った。アメリカ側の損害は,空母1,軽空母3,その他数隻であった。結局,陸上基地航空兵力は空母兵力に敵しえず,日本が大敗し,連合艦隊は事実上壊滅した。なお,この戦いで神風特別攻撃隊が編成され,最初の攻撃が行われた。

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