ルーアン(読み)るーあん(英語表記)Rouen

翻訳|Rouen

デジタル大辞泉 「ルーアン」の意味・読み・例文・類語

ルーアン(Rouen)

フランス北部、セーヌ川下流の河港都市。パリの外港。繊維などの工業が発達。古くはノルマンディー公国の首都。1431年ジャンヌ=ダルクが処刑された地。歴史的建造物が多い。

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精選版 日本国語大辞典 「ルーアン」の意味・読み・例文・類語

ルーアン

(Rouen) フランス北部、セーヌ川の右岸にある河港・工業都市。パリの外港で同国有数の貿易港。繊維、石油化学などの工業が発達している。一〇~一三世紀ノルマンディー公国の首都。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルーアン」の意味・わかりやすい解説

ルーアン
るーあん
Rouen

フランス北西部、セーヌ・マリティーム県の県都。パリの北西123キロメートルに位置し、セーヌ川が市内を貫流する。ノルマンディー地方の古くからの中心都市。人口10万6592(1999)、11万0169(2015センサス)。ローマ時代からの歴史の古い町で、第二次世界大戦中は連合軍の爆撃で甚大な被害を受けたが、ノートル・ダム寺院、サントゥアン教会、サン・マクルー教会、時計塔、裁判所などのゴシック建築のほか、多くの歴史的建造物が保存されている。大学、控訴院司教座教会などがあり、第三次産業が主産業で、商業・観光の中心地。河港ながらフランス第4位の商港を有し、西88キロメートルのセーヌ河口に位置するル・アーブルとともに一大工業地帯を形成し、繊維、鉄鋼、化学、食品、石油工業も発達している。ルーアン織はこの町の特産物。

[高橋伸夫]

歴史

ケルト時代、ウェリオカッセース人の根拠地で、ラトマグスRatomagus, Ratumagusとよばれた。紀元前1世紀中期以来ローマの支配下に入り、紀元後3世紀にはキリスト教の司教座が置かれ、また北方交易の拠点となった。フランク時代にはその地方伯居住地となったが、841年侵攻したノルマン人に焼かれ、911年サン・クレール・シュール・エプト協約によって成立したノルマンディー公国の首都となった。文化的・経済的活力を取り戻して内外交易の拠点となり、サントゥアン教会など主要な寺院も建立された。12世紀にはコミューヌ(自治都市)を宣言し、「ルーアン市憲章」Etablissement de Rouenを定め、拡大した街を囲む新たな城壁が築造されるほど発展した。13世紀にフランス王フィリップ2世に征服されたが、商人寡頭政の特権都市として保障され、パリとの交易はいっそう密接になり、海軍工廠(こうしょう)も創設され、ハンザ諸都市との関連も深くなり経済的繁栄がもたらされた。しかし、14、15世紀の百年戦争期には、ペストの流行も加わり、その交易上の特権も喪失して衰退した。また、ジャンヌ・ダルク裁判と処刑(1431)の場となった。16世紀に入ると、王権の強化に応じ旧ノルマンディー公法廷がルーアン高等法院となり(1515)、王政の地方拠点都市となった。手織、亜麻(あま)布、製紙工業がおこり、西欧交易も回復した。18世紀にはアフリカアンティル諸島を結ぶ三角貿易の一角を担った。

[千葉治男]

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改訂新版 世界大百科事典 「ルーアン」の意味・わかりやすい解説

ルーアン
Rouen

フランス北部,セーヌ・マリティム県の県都。人口10万6592(1999)。パリとル・アーブルの中間にあるセーヌ河畔の工業都市で,ノルマンディーの旧主都。古来パリの外港として発展し,現在は石炭,石油,木材などの輸入と,パリ,ルーアンで生産される工業製品の輸出が行われる。伝統的な紡績工業に加えて製鉄,造船業などの重工業のほか,近年は石油化学工業の発展が著しい。

 ノートル・ダム大聖堂は,フランス・ゴシック建築の代表作の一つで,大半が13世紀に建てられた。袖廊の南北扉口に施された浮彫は,14世紀ゴシック彫刻の傑作。この大聖堂はモネが好んで描いたことでも知られる。また,フランボアイヤン様式の華麗なサン・マクルー教会(16世紀初め),大時計などが残されるほか,この町で処刑されたジャンヌ・ダルクゆかりの史跡も多い。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルーアン」の意味・わかりやすい解説

ルーアン
Rouen

フランス北西部,セーヌマリティム県の県都。パリ北西約 120km。セーヌ川の重要な河港。パリの外港で,外洋船の入港が可能。古くはローマの商業中継地として栄えた。9世紀中頃ノルマン人が占領,912年ノルマンディー公国の首都。中世,特にワインの積出港として発展した。百年戦争により 15世紀初頭イギリスが占領。 1449年復帰。 16世紀には通商,学芸の町として繁栄,ルーアン商人は海外にまで進出,活躍した。港は 17世紀末,ナントの勅令の廃止以後一時衰退したが,19世紀中頃,港湾施設の改修,拡充により再び活発化,重要な貿易港となり,現在,石炭,原油,鉱石,鉄材,小麦粉などを輸入し,石油製品,金属,機械,肥料,繊維などを輸出。大都市圏工業地帯では繊維・化学工業を主に,精油・製紙・機械工業などが盛んで,皮革加工なども行われる。南東郊に新都市ボードルイユを建設。ジャンヌ・ダルクの幽閉された塔や,火刑場所を示す敷石のある広場,代表的フランス・ゴシック建築のルーアン大聖堂 (11~16世紀) をはじめ多くの史跡,聖堂,中世の住居が残り,町全体が美術館といわれ,観光の町としても知られる。作家 G.フロベールの生地。人口 10万9425(2008)。

ルーアン
Rouyn

カナダ,ケベック州南西端の鉱山都市。オンタリオ州に近いオシスコ湖畔に位置する。 1922年金・銅鉱の発見とともに居住が始った。西隣のノランダとともに州西部の鉱業地域の商業,経済の中心地として発展。金,銅の採掘,精錬のほかに,林業や酪農も行われている。住民の多くはフランス系。人口1万 7319 (1986) 。

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百科事典マイペディア 「ルーアン」の意味・わかりやすい解説

ルーアン

フランス北部,セーヌ・マリティム県の県都。パリ北西約123km,セーヌ川右岸の商工業都市。造船・金属・精油・化学・繊維の諸工業が行われる。パリの外港で,食品,炭化水素,木材,繊維,熱帯果物,ブドウ酒,工業製品などが輸出入される。12世紀創建のルーアン聖堂をはじめサン・トゥーアン修道院,サン・マクルー教会などがある。起源はローマ時代で,中世にノルマンディーの主都。1431年ジャンヌ・ダルク処刑の地。1870年独軍占領。第2次大戦で被災。コルネイユフローベールの生地。10万7904人(2006)。
→関連項目ノルマンディー

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ルーアン」の解説

ルーアン
Rouen

ノルマンディの都市。司教座の存在は314年にさかのぼる。ノルマンディ公領の設置とともに首都となり,コミューン都市として独自の都市法を発展させた。百年戦争中イギリス軍が占領し,1449年フランスが奪回したが,その間ジャンヌ・ダルクはここで火刑に処せられた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ルーアン」の解説

ルーアン
Rouen

パリの外港として栄えたノルマンディー地方の中心都市
セーヌ川下流の港市で,3世紀には大司教座が置かれ,ノルマンディー公国の首都とされた。百年戦争時ジャンヌ=ダルクは1431年ここで宗教裁判にかけられ処刑された。ゴシック様式の代表とされるノートルダム大聖堂がある。のちにはプロテスタントの拠点となり,特にナントの勅令発布後は,プロテスタントが数多く移住してきた。

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