ルクセンブルク史(読み)ルクセンブルクし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ルクセンブルク史」の意味・わかりやすい解説

ルクセンブルク史
ルクセンブルクし

ドイツとフランスの間にあるこの地域は,もとゲルマン系トレベリ人が住み,前1世紀中頃ローマに征服され,現ルクセンブルク市あたりに小さな城塞を建設,のちフランク王国の分裂後,963年アルデンヌ伯ジークフリートがこの地に建国,「小さな城塞」にちなんでルクセンブルクと命名された。 11世紀中頃伯領となり神聖ローマ帝国の一諸侯として次第に発展,14世紀初めに神聖ローマ皇帝,ボヘミア王を輩出し,1354年ルクセンブルク家の皇帝カルル4世金印勅書公布,ルクセンブルクは公国となった。しかし,1444年以後フランスのブルゴーニュ家,オーストリアハプスブルク家の所属となり,1555~56年にはスペインによる支配が始った。さらにフランスのルイ 14世の征服を経て,スペイン継承戦争後再びオーストリア領,フランス革命戦争でフランスの併合と長く外国支配が続いた。ウィーン会議の結果,1815年以後は大公国としてドイツ連邦内の独立国となり,オランダ王が統治。 30年ベルギーの独立に際して国民はこれに参加,列国が介入して西半分のフランス語地域はベルギーに帰属し,より狭い東半分はオランダに属した。このように,この地域の戦略的重要性から中世以来しばしば支配権をめぐる争いが展開されたが,67年プロシアとフランスがその支配を争って対立ロンドン会議でルクセンブルクの独立と永世中立が保証され,翌年立憲君主国となり,90年オランダ王家の統治も解消してナッサウ家がこれを継いだ。 19世紀末,南西部地帯の豊かな鉄鉱床を基礎に鉄鋼業が急速に発展し,20世紀前半,世界有数の鉄鋼生産国として繁栄した。両世界大戦にはともにドイツに占領され,苦難と抵抗の歴史を刻んだが,第2次世界大戦後は中立を放棄して西ヨーロッパ,アメリカとの結びつきを深め,1949年北大西洋条約機構 NATO加盟,58年ヨーロッパ経済共同体 (現ヨーロッパ連合 EU) の構成国となり現在にいたっている。

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