ルイ[14世](読み)ルイ

百科事典マイペディア 「ルイ[14世]」の意味・わかりやすい解説

ルイ[14世]【ルイ】

フランス国王(在位1643年―1715年)。ルイ13世の子。幼少で王位につき,母后アンヌ・ドートリシュが摂政をつとめ,マザランが政権を担当。フロンドの乱の混乱を経て,1661年マザランが没して以後親政。コルベールを重用して重商主義政策を推進し,ルテリエやルーボアの指導下に強力な常備軍をつくり,フランスをヨーロッパ一の陸軍国とした。また官僚制を強化して中央集権的絶対主義国家の形成に成功。〈朕は国家なり〉という名高い句はルイ14世に帰されているが,その威光は全ヨーロッパに輝いて〈太陽王〉と呼ばれ,絶対君主の典型とされた。英国,オランダと国際政治・国際経済の主導権を争い,4次にわたり大規模な絶対主義戦争を繰り返したが,国民は重税と経済的不況にあえぎ,治世末年は重苦しい空気に包まれ,批判勢力も台頭した。1685年のナントの王令廃止により,ユグノーの信教の自由を奪い,王権を批判するものを激しく弾圧した。王の親政期は古典主義文化の最盛期に当たり,モリエールラシーヌをはじめ多くの芸術家が輩出した。
→関連項目アウグスト[2世]アカデミー・デ・シアンスアンバリッドオペラ座オランダ戦争軍楽隊サン・シモンジャコバイトスペイン継承戦争絶対王政ドラランドトルココーヒーバレエピレネー条約ファルツ戦争フェリペ[5世]フランスフランドル戦争ブルボン[家]ベシャメルソースベルサイユ宮殿ボーバンマロ[父子]マンサールミディ運河メヌエットユトレヒト条約リュリルイ[15世]ル・ノートルル・ボー

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世界大百科事典 第2版 「ルイ[14世]」の意味・わかりやすい解説

ルイ[14世]【Louis XIV】

1638‐1715
フランス絶対王政最盛期の国王。在位1643‐1715年。〈太陽王〉とも呼ばれる。ルイ13世とアンヌ・ドートリシュの子。4歳で王位に就いたため母后が摂政となり,マザラン枢機卿が宰相として実権を握った。リシュリューの後を継いで王権の強化をはかったマザラン時代には,これに反発してフロンドの乱(1648‐53)が起こり,幼い国王も何度かパリを追われた。1660年スペイン国王フェリペ4世の長女マリア・テレサと結婚。

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世界大百科事典内のルイ[14世]の言及

【オランダ戦争】より

…フランスのルイ14世が1672‐78年にオランダを侵略した戦争。ネーデルラント戦争ともいう。…

【宮廷】より

…強力な王権を前にしては,有力貴族も高位聖職者も,競って宮廷に馳せ参じ国王の恩恵にあずからざるをえない。ルイ14世によるベルサイユ宮殿の建造は,まさにこの新しい時代を象徴するものであった。ルイ14世は1682年ベルサイユに移り住むが,その盛時には1000人を超す宮廷貴族や高位聖職者が,この広大な宮殿に居室を与えられ,その従者の数は4000人に及んだという。…

【スペイン継承戦争】より

…スペインにおけるハプスブルク朝(ハプスブルク家)の断絶にともない,その王位と領土の継承をめぐって,フランスとイギリス,オランダ,オーストリアなど対仏連合諸国との間で行われた戦争(1701‐14)。1700年の秋に病身で嗣子のないカルロス2世が没すると,遺言によりスペインの全領土は,フランス王ルイ14世(第1王妃がスペイン王女であった)の孫フィリップ(フェリペ5世)に譲られた。オーストリア・ハプスブルク家の神聖ローマ皇帝レオポルド1世(在位1657‐1705)はこれを認めず,直ちにフランスと国交断絶したが,この遺贈にはフィリップがフランス王位への要求権をいっさい放棄するという条件がついていたので,かねがねスペイン領土の継承に関心をもっていたイギリスとオランダは,当面これを黙認する態度をとった。…

【パリ】より

…この子孫のユーグ・カペーが987年に聖俗貴族の集会で推挙されてカペー王朝が成立すると,パリは新しい発展の段階を迎える。
【中世】

[ルーブル宮とパリ大学の創建]
 カペー朝のルイ6世(在位1108‐37)の頃より,パリは国王の恒常的な居住地となった。農村共同体の出現によって農業生産は飛躍的に上昇するとともに,それを基盤として封建諸侯が出現し,国王は封建諸侯の推挙によってその頂点に立った。…

【フランドル戦争】より

…フランスのルイ14世が1667‐68年,領有権を主張してスペイン領南ネーデルラント(フランドル。現在のベルギーおよび北フランスの一部)を侵略した戦争。…

【ブルボン朝】より

…アンリ4世はナントの王令によって宗教戦争に終止符を打ち,王国の統一を回復,王朝の基礎を築いた。次いで,ルイ13世時代のリシュリュー,ルイ14世未成年時代のマザランの2人の大宰相によって国王権力が確立された。三部会は1614年を最後に召集されなくなり,貴族の抵抗もフロンドの乱を最後としてついえた。…

【ベッド】より

…17世紀中ごろからベッドの天蓋やカーテンに豪華なタピスリーが採用され,ベッドの美しさの重点は木製部材から織物へと移った。 ルイ14世のベルサイユ宮殿では,国王が議会に出席するときには〈正義の寝台lit de justice〉に着座し,諸侯は腰掛に座り,高級官僚は直立し,下級官僚はひざまずくというように,公の席では社会的地位に応じて座姿勢に格差がつけられた。また,謁見の間には〈謁見のベッド〉が設置され,全体はゴブラン織で装飾された。…

※「ルイ[14世]」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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