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イギリスのアフリカ探検家。産業革命後のビクトリア女王時代のイギリスとアフリカのかかわりを典型的に示す探検家といえる。イギリスの周縁部であるスコットランドの貧しい労働者(産業革命の落し子である綿紡績工場の労働者)の家庭に生まれ,勤勉で敬虔なキリスト教徒だった両親の影響で医療宣教師となった。初め中国行きを志したがアヘン戦争であきらめ,ロンドン伝道協会派遣の医療宣教師として,1841-49年南アフリカに赴任した。この間のカラハリ地方を中心とする宣教活動を通じて,彼は住民の言語や習俗,地理上の発見に強い関心を抱くようになった。49年のヌガミ湖の発見により王立地理学協会から金メダルを受け,以後この協会との結びつきによる地理的探検への傾斜を深めた。50-56年のザンベジ川上流から大西洋岸に至る探検によって探検家としての名声を確立し,イギリス社会のヒーローとなった。58-64年のザンベジ川流域の探検,66-73年のナイル川の水源を求めての探検では,イギリス人同行者との不和に悩まされ,とくに最後の探検では,同行者に医薬品を持ち逃げされたことが一つの原因となって病気に倒れ,一時は行方不明を伝えられた。タンガニーカ湖岸のウジジで《ニューヨーク・ヘラルド》紙から特派されたH.スタンリーに発見され(1871),以後5ヵ月近くスタンリーとともにタンガニーカ湖周辺部の探検を進めた。スタンリーの帰国勧誘を断ってアフリカにとどまり,73年チタンボ村(現,ザンビア中東部)で病没。
キリスト教の伝道,文明の普及,イギリスとの交易の内陸への浸透が,奴隷貿易を根絶する道であるというリビングストンの信念,そして地理上の発見への情熱などは,19世紀初めから中ごろまでの,彼と同時代のヨーロッパ人によるアフリカ探検を特色づけるもので,これに続く時代の,スタンリー後期の探検をはじめとする,植民地支配の直接の前提としての探検とは主体的動機は異なるが,その先駆としての役割を果たしたとみることができる。
→アフリカ探検
執筆者:川田 順造
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… 奴隷制廃止にいたるまでのあいだに,19世紀に入る前後からヨーロッパ人によるアフリカ内陸部探検が盛んに行われていた。1795年から1806年にかけて2度も西アフリカのニジェール川上流付近を探検したスコットランドのマンゴ・パーク,1820年代にサハラ砂漠を横断し西アフリカにいたった同じスコットランドのヒュー・クラッパートンHugh Clapperton(1788‐1827)や50‐70年代に幾度も東アフリカを探検した宣教師デビッド・リビングストン,行方不明になったリビングストンをタンガニーカ湖畔のウジジで発見して名を知られ,さらにベルギー国王レオポルド2世の依頼を受けてコンゴの植民地化に辣腕をふるったイギリス生れのアメリカ人ジャーナリスト,ヘンリー・M.スタンリーなどは,この時代の探検家を代表する人びとである。探検はもともと科学的興味や人道主義的使命感からはじめられたものであったが,これによってもたらされたアフリカ内陸部に関する情報は,19世紀後半におけるヨーロッパ列強の領土的野心をいっそう刺激する結果を生んだ。…
…南北戦争に従軍,戦後は新聞記者になり,政府軍とインディアンとの戦い,イギリスとエチオピアとの戦いなどの従軍記者として頭角を現した。ナイル川の水源地探検に赴いたまま消息を断ったリビングストンを探しに派遣され,1871年首尾よく彼と邂逅,2人でタンガニーカ湖を探検した。74年からは3年近い歳月をかけて,アフリカ大陸中央部をインド洋岸から大西洋岸まで横断した。…
…1820年ころアラブの奴隷商人によって建設され,内陸との交易の重要な拠点となった。リビングストンの探検の基地としても知られる。【西野 照太郎】。…
…キリスト教の土着文化への浸透は,ヨーロッパ人との接触による新しい物質文化や武器,病気による人口の激減など,これまで経験したことのなかった大変動のなかで,ポリネシア人やメラネシア人が未来への幸せを願って福音を受け入れたことによるところが少なくない。なお協会は南太平洋だけでなく,アフリカなどにも宣教師たちを派遣しており,リビングストンのアフリカ探検も協会の後援によるものである。【石川 栄吉】【矢野 将】。…
※「リビングストン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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