リパッティ

精選版 日本国語大辞典 「リパッティ」の意味・読み・例文・類語

リパッティ

(Dinu Lipatti ディヌ━) ルーマニアのピアノ奏者、作曲家。コルトー師事。一九三六年からヨーロッパ各地で活躍バッハショパンシューマンの個性的でニュアンスに富む演奏は絶賛された。白血病夭逝。(一九一七‐五〇

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百科事典マイペディア 「リパッティ」の意味・わかりやすい解説

リパッティ

ルーマニアのピアノ奏者,作曲家。楽器をたしなむ両親の間にブカレストで生まれ,エネスコが名付親となる。幼くしてブカレスト音楽院に入学し,コルトーの招きで1934年−1939年パリのエコール・ノルマルに学ぶ。ピアノをコルトーに,作曲をデュカースとN.ブーランジェに,指揮ミュンシュに師事し,ブーランジェとは生涯にわたり交流を深めた。パリでデビュー後各国を楽旅。第2次世界大戦の戦火を逃れ1943年ジュネーブに永住し,同地の音楽院教授に就任。白血病のため33歳で早世した。J.S.バッハからロマン派に至るレパートリー気品に満ちた名演を残している。作品に《ピアノと室内オーケストラのためのコンチェルティーノ(小協奏曲)》(1936年)などの管弦楽曲,室内楽曲,ピアノ曲など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「リパッティ」の意味・わかりやすい解説

リパッティ
りぱってぃ
Dinu Lipatti
(1917―1950)

ルーマニアのピアノ奏者。生地ブカレストの音楽院で学ぶ。1934年ウィーン国際コンクールで第二位となり、審査員だったコルトーに認められ、パリに出てコルトーに師事。36年から演奏活動を始めたが、第二次世界大戦勃発(ぼっぱつ)で帰国。43年ナチスがルーマニアに侵入したためスイスに逃れ、ジュネーブ音楽院で教えるとともに演奏活動を続けたが、50年のブザンソン音楽祭に出演したのを最後に、白血病のため33歳の若さで死去した。現代的な感覚のなかに清新なリリシズムを感じさせる演奏は、高貴で孤高と評され、次代大家を約束されていた。その一端は、残されたモーツァルト、ショパン、シューマン、グリーグの録音に聴くことができる。

[岩井宏之]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リパッティ」の意味・わかりやすい解説

リパッティ
Lipatti, Dinu

[生]1917.3.19. ブカレスト
[没]1950.12.2. ジュネーブ
ルーマニアのピアニスト。両親や F.ムジチェスクにピアノを習い,1934年以降パリに出て A.コルトーの弟子となった。 44年ジュネーブ音楽院教授。バッハやショパンの演奏によって不世出の天才と称されたが,白血病のため早世。

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