リスウィック条約(読み)りすうぃっくじょうやく

世界大百科事典(旧版)内のリスウィック条約の言及

【ドミニカ共和国】より

…17世紀の初めころからバカニアと呼ばれる海賊たちが島の西部に定住しはじめた。1697年,スペインはリスウィック条約によって西部をフランスに割譲することになり,同島はサント・ドミンゴとサン・ドマングの二つの植民地に分かれた。1821年,サント・ドミンゴはスペインからの分離を宣言したが,まもなくフランスから独立したハイチの侵入を受け,ハイチ人による占領が44年まで続いた。…

【ハイチ】より

…先住民カリブ族は金鉱採掘に酷使されたため間もなく絶滅し,早くも1503年にアフリカから黒人奴隷が導入された。1627年北部沿岸のトルチュー島(トルトゥガ島)にフランスの海賊が定住し,その後イスパニオラ島の西3分の1を占領したため,1697年のリスウィック条約で正式にその部分がフランスへ割譲された。フランスはここをサン・ドマングと命名し,奴隷労働に基づく綿花,砂糖,コーヒー栽培を行い,18世紀末には奴隷人口は40万人に達した。…

※「リスウィック条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」