リオ・デ・ジャネイロ(読み)りおでじゃねいろ(英語表記)Rio de Janeiro

翻訳|Rio de Janeiro

日本大百科全書(ニッポニカ) 「リオ・デ・ジャネイロ」の意味・わかりやすい解説

リオ・デ・ジャネイロ
りおでじゃねいろ
Rio de Janeiro

ブラジル南東部の大西洋岸に位置する都市。略称リオ。深く湾入したグアナバラ湾の入口西岸にあり、美しい景観とカーニバルの祭りで知られる南アメリカ第一級の観光都市である。西方約430キロメートルにあるサン・パウロに次ぐブラジル第二の経済中心地でもある。世界三大美港の一つに数えられる良港をもち、歴史的には、砂糖、金、コーヒーの輸出港として発展してきた。リオ・デ・ジャネイロという名は、ポルトガル語で「1月の川」の意味で、1502年1月1日、アメリゴ・ベスプッチらが川のように狭いグアナバラ湾を発見したことにちなんでいる。ほぼ南回帰線上に位置し、年平均気温23.8℃、年平均降水量1168.9ミリメートルで顕著な乾期がない湿潤熱帯気候下にある。人口585万7904(2000)はブラジル第2位、ほとんどひと続きの市街地をなすノバ・イグアス、ドゥケ・デ・カシアスや、グアナバラ湾をまたぐ長さ14キロメートルの橋で結ばれているニテロイ、サン・ゴンサロなどの周辺13の都市をあわせた大都市圏の人口は約1000万人である。1960年まではブラジルの首都であったが、ブラジリアに首都が移された現在はリオ・デ・ジャネイロ州(面積4万3909.7平方キロメートル、1996。人口1439万1282、2000)の州都である。

 産業、経済中心の業務都市的性格が強いサン・パウロに対し、リオ・デ・ジャネイロはブラジル文化を象徴する都市であり、観光の中心地である。市内には国立、州立二つのリオ・デ・ジャネイロ大学をはじめ六つの大学があり、国立博物館(科学博物館)、国立歴史博物館など多数の文化施設がある。かつて20万人を収容したマラカナン・スタジアム(2002年現在収容人員10万)は世界最大規模のサッカー競技場である。毎年2月中・下旬か3月初めに行われるカーニバルは華やかで情熱的な祭りとして有名で、街頭では市内各地区のサンバ学校対抗の仮装行進コンクールが、高級クラブでは仮装舞踏会が催されるなど、市内は4日間サンバのリズムに包まれる。

 市街地は大小多数の丘や岩峰の間の海岸低地を埋め尽くすように広がっており、中央地区、北部地区南部地区に三分される。港や国内空港に接する中央地区は一般会社、銀行、官庁、商店などが密集した地区で、近代的高層ビルが林立し、その間に旧市街地や歴史的建造物が混在している。北部地区はグアナバラ湾西岸から内陸にかけての一帯で、湾岸の工業地帯には食品、石油化学、繊維、金属関係などの工場が立地し、内陸へは一般住宅が無秩序に拡大している。南部地区は、中央地区に接するフラメンゴ、ボタフォーゴなど古い市街地の趣(おもむき)を残す部分と、大西洋に直接臨む海岸低地に中・高層のアパートやホテルがぎっしりと並ぶ新市街地とからなる中・高級住宅地区である。おもな観光施設もこの地区に集中している。パン・デ・アスーカルの岩峰(標高395メートル)や頂上に巨大なキリスト像が立つコルコバードの丘(704メートル)、植物園、ヨット・ハーバーなどがあり、レーメコパカバーナイパネマ、レブロンなどの美しい海水浴場は、リオ市民(カリオカとよばれる)や観光客でにぎわっている。南部地区の背後に横たわるカリオカ山脈は豊かな熱帯林に覆われており、その中心部3300ヘクタールはティジュカ国立公園に指定されている。南部地区の新興高級住宅地は海岸に沿って年々西方へ拡大しつつあり、近年ではティジュカ海岸地区の発展が著しい。このような美しい町並みや自然とは対照的に、市内各所の丘の斜面にファベーラとよばれるスラム街が散在し、住民の貧富の差の大きさを象徴している。このほか、大気汚染、慢性的交通渋滞、降雨時の排水不良による浸水、治安不良などの多くの都市問題を抱えている。

[松本栄次]

歴史

1555年、フランス人がグアナバラ湾内に入植したことに対抗して、1565年同湾の入口近くにポルトガル人の入植地がつくられ、2年後にフランス人は撃退された。1693年内陸のミナス・ジェライスで金が発見されると、リオ・デ・ジャネイロはその外港として重要性を増し、1763年サルバドルにかわってブラジル植民地の首府となった。ブラジル南部をラ・プラタ地方のスペイン人に対して効果的に防衛するため、良港が必要とされたからであった。1808年、ナポレオン軍に追われたポルトガル王室がリオ・デ・ジャネイロに遷都し、ただちに友好諸国に貿易を認め、実質的にブラジルは植民地でなくなった。ブラジルの独立(1822)後は首都として、全国の政治、経済、文化の中心地として繁栄した。1930年以後はサン・パウロに工業中心地の地位を奪われ、1960年新都市ブラジリアに首都の座を譲った。

[山田睦男]


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百科事典マイペディア 「リオ・デ・ジャネイロ」の意味・わかりやすい解説

リオ・デ・ジャネイロ

ブラジル南東部,リオ・デ・ジャネイロ州の州都。グアナバラ湾に面する。1960年まで首都で,現在も一部の官庁業務は残されている。リオの主要な経済活動は工業で,造船・金属・化学・食品工業などが行われる。また,観光都市としても有名でパン・デ・アスーカル山,コパカバーナ海岸,イパネマ海岸,コルコバード山があり,カーニバルには世界中から観光客が集まる。1565年フランス植民地を陥落させてポルトガルが入植。17世紀にミナス・ジェライスの金が発見されてから成長し,1763年,植民地の主都となり,1822年ブラジル独立とともに首都。ノルデステ地方などからの国内移住により人口は急増し,1960年の330万人から632万446人(2010)へと膨張し,近郊には〈ファベーラ〉と呼ばれるスラムが形成されている。2013年6月にワールドカップやオリンピックに巨額出費するよりも教育・医療改革などの充実を求める大規模デモが発生,デモ隊と警察が衝突し,多数の拘束・逮捕者を出す事態となった。2014年6月にブラジルでサッカー・ワールドカップが開催され,2016年の第31回夏季オリンピック開催地に決定した。
→関連項目カーニバルコルコバードの丘

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「リオ・デ・ジャネイロ」の解説

リオ・デ・ジャネイロ
Rio de Janeiro

独立以来1960年までブラジルの首都だった大都会。1720年ブラジル副王領の首都となり,ポルトガル王室がナポレオン戦争の難を避けてポルトガル・ブラジル帝国をつくったときにも首都となった。20世紀になって,オスマンに学んだペレイラ・パソスのフランス式都市改造が行われ美しくなったが,都市の膨張とともに貧民街が増大している。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

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