ラ・テーヌ文化
らてーぬぶんか
La Tène
紀元前5~前1世紀にわたって中部ヨーロッパを中心に発達した鉄器時代の文化。その最盛期には、イングランドやピレネー山脈にも及んでいる。文化の名称は、スイスのヌーシャテル湖岸にあるラ・テーヌ遺跡からとったもので、この遺跡は、1907~17年にわたって組織的な発掘調査がなされた。その際、杭や丸太を渡した道路遺構や多数の木器、鉄器、青銅器類を出土したが、とくに鉄製の武器類が3分の1以上を占めていた。同文化の後半に営まれた祭祀(さいし)的な奉納地とみる説が強い。同文化の分布圏がケルト人の分布と重なるため、彼らの残したものとされ、剣の柄頭(つかがしら)や留針(とめばり)にある独特の曲線文は同文化を象徴している。
[前田 潮]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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「ラ・テーヌ文化」の意味・わかりやすい解説
ラ・テーヌ文化【ラテーヌぶんか】
ヨーロッパ鉄器時代後半の文化。スイスのラ・テーヌ遺跡にちなんで命名。騎馬民族のケルト人の文化と考えられる。金工術にすぐれ,武器,武具,車馬具,農工具,装身具を,青銅,鉄,金,銀などで製作。ろくろ製の土器をもつ。4期に分けられ,第1期(前550年―前420年)は東フランス,東バイエルン,西ボヘミアに分布し,第2期(前420年―前300年)を経て,第3期(前300年―前120年)にはヨーロッパ全土に広まり,第4期(前120年から紀元前後)にはローマの影響を受けて一部に都市が形成された。
→関連項目木棺
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ラ・テーヌ文化
ラ・テーヌぶんか
La Tène culture
ヨーロッパの鉄器時代後半の文化。前5世紀から紀元前後に,ハルシュタット文化に続きケルト人が残したものと考えられている。南のギリシア・ローマ文化から多大の影響を受けている。騎馬の風習をもち,住居は簡単な小屋掛け程度のものであり,葬法は種々のものが行われた。金細工にすぐれ,多くの優秀な作品を残した。標準遺跡は,スイス西部のヌーシャテル湖畔にあるラ・テーヌ遺跡。
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