ラム(Charles Lamb)(読み)らむ(英語表記)Charles Lamb

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ラム(Charles Lamb)
らむ
Charles Lamb
(1775―1834)

イギリスの随筆家ロンドンに生まれる。名門パブリック・スクールのクライスツ・ホスピタルに学び、生涯の友コールリッジを知るが、経済的理由のほかに、吃音(きつおん)であったこともあって大学へは進学しなかった。卒業後しばらく南海会社に勤めたあと東インド会社へ移り、50歳で辞めるまで33年間、忠実な会計係として勤務した。1796年、姉のメアリーMary Ann Lamb(1764―1847)が精神錯乱発作で母親を刺し殺すという悲劇が起こり、彼はこの姉のめんどうをみようと決心して生涯独身を決意。そういう彼自身も同じ病気で一度入院することになり、精神病の暗い影が姉弟にずっとついて回った。姉の発作はときどき起こったので、近所の手前をはばかり、しばしば引っ越ししなくてはならなかった。このころが彼のどん底の時期であったが、彼はいつも駄洒落(だじゃれ)を考えるのを楽しみにしていたという。文学的活動としては、初めは主として詩を書き、98年には有名な『なつかしの面影(おもかげ)』を含むロイドCharles Lloyd(1775―1839)との共著詩集『ブランク・バース』を出した。1807年には、姉と共著で『シェークスピア物語』(姉は喜劇ラムが悲劇を受け持つ)を出したほか、児童向けの本がいくつかある。ついで翌08年には学問的にも評価されている『イギリス劇詩人名品抄』が出て、このころからようやく生活の安定を得るようになった。

 1820年、45歳から『ロンドン雑誌』に随筆を書き始め、23年に『エリア随筆』として出版され、彼の名を不朽のものとした。33年には『続エリア随筆』が出た。愚かな人間をいとおしみ、しみじみとした味わいを漂わせるユーモアはイギリス文学史上でも特異なもので、いまも愛読者が絶えない。東洋的文人趣味に通ずるところがあるせいか、明治以来わが国で心を寄せる者が少なくない。文人、学者に多くの友人をもっていたラムは、書簡にもみるべきものがある。

外山滋比古

『日夏耿之介・燕石猷訳『イギリス抒情詩集』(原題『ブランク・バース』1952・河出書房)』

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