ラバル(Pierre Laval)(読み)らばる(英語表記)Pierre Laval

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ラバル(Pierre Laval)
らばる
Pierre Laval
(1883―1945)

フランスの政治家。オーベルニュ地方の貧家に生まれ、苦学して法律を学んだ。弁護士として名をあげ、1914年の総選挙で下院議員に当選。社会党内では最左派に属したが、1919年の総選挙で落選すると社会党を去り、しだいに右傾化した。下院議員(1924~1927)、上院議員(1927~1940)を務め、その間、公益事業相(1925)などを歴任し、1931~1932年には首相を務めた。その後世界恐慌下の1935年6月ふたたび首相となり、国内ではデフレ政策、国外ではナチス・ドイツに対抗するための親イタリア政策を推進した。しかし、おりからのエチオピア戦争ではムッソリーニの侵略政策を黙認したとして左翼の攻撃を浴び、1936年1月退陣。それ以後、左翼優勢の共和政に活動を封じられたが、1940年、フランスがナチス・ドイツに敗北すると、第三共和政廃止とビシー政権発足に決定的役割を果たした。新体制下で副首相となり、一時はペタン国家主席の不興を被って引退(1941)、翌1942年首相に返り咲き、第二次世界大戦中、対独協力政策を実行した。このため、戦後反逆罪で死刑となった。

[平瀬徹也]

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