日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラドクリフ・ブラウン」の意味・わかりやすい解説
ラドクリフ・ブラウン
らどくりふぶらうん
Alfred Reginald Radcliffe-Brown
(1881―1955)
イギリスの社会人類学者。ケンブリッジ大学で自然科学から人類学へ専攻を変え、卒業後、1906年から1908年にかけてベンガル湾東部のアンダマン島で調査を行った。その後、オーストラリア、アフリカ、アメリカなどで調査を進める。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス、ケンブリッジ大学講師を経て、ケープタウン、シドニー、シカゴ、オックスフォード各大学教授。王立人類学協会会長(1939~1940)をも務めた。シドニー大学では雑誌『オセアニア』を創刊。アンダマン島での成果は『アンダマン島民』(1922)で発表されたが、これは同年に出版されたマリノフスキーの『西太平洋の遠洋航海者』とともに機能主義人類学の先駆をなした。従来の進化主義や伝播(でんぱ)論のように、社会の諸制度を説明する際、歴史的資料から発展段階を追うという方法を排し、自然科学の方法を社会の分析にも適用すべきだとし、社会の一般法則を帰納的に研究する学問を社会人類学と名づけた。彼によれば、社会は体系的統一をなしていて、各文化要素は異なる機能をもちながらそのなかに統合されている。そして慣習・儀礼など各文化要素が全体としての文化の統一のためになす貢献が「機能」であり、これらの諸機能を考察することにより、社会のなかの複雑な関係の網の目である「社会構造」を研究するのが社会人類学の目標であるとした。主著は前記のほか『未開社会における構造と機能』(1952)、『社会人類学の方法』(1958)など。
[豊田由貴夫 2019年1月21日]
『青柳まち子訳『未開社会における構造と機能』(1981/新版・2002・新泉社)』