ラディチ(読み)らでぃち(英語表記)Stjepan Radić

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ラディチ」の意味・わかりやすい解説

ラディチ
らでぃち
Stjepan Radić
(1871―1928)

クロアチアおよびユーゴスラビア王国の政治家。ザグレブ大学在学中から、オーストリア・ハンガリー帝国の支配に反抗してデモを組織し、再三逮捕された。その後プラハブダペスト勉学を続け、1899年にパリの政治専門学校を卒業した。1904年、兄アントゥンAnte Radić(1868―1919)とともにクロアチア農民党を創設。1918年に党名を共和農民党と改称して、ハプスブルク帝国の連邦化を唱え、南スラブ人の統一国家建国に反対した。同党は1920年の憲法制定議会選挙で第四党、1923年の総選挙では第二党に進出した。しかし彼の方針は一定せず、農民党は反政府連合を形成したり、与党にくみしたりした。1928年、国会内で撃たれ致命傷を負い、死亡した。

[柴 宜弘]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラディチ」の意味・わかりやすい解説

ラディチ
Radić, Stjepan

[生]1871.7.11. リエカ近郊トレバリェボデスノ
[没]1928.8.8. ザグレブ
クロアチア,ユーゴスラビアの政治家。 1904年兄アントゥンとともにクロアチア農民党を結成,ハンガリー支配反対運動を指導。他方セルビア人中心の南スラブ国家建設にも反対,国家成立後は平等な連邦制を要求した。 20年の選挙でクロアチア人の票のほとんどを自党で獲得。 24年コミンテルンと接触したため投獄されたが,25年出獄して政府との協定により教育相に就任,26年また反政府派となった。 28年6月に議会でモンテネグロ出身の P.ラチッチ議員にピストルで撃たれ,致命傷を負った。

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