精選版 日本国語大辞典 「ラスプーチン」の意味・読み・例文・類語
ラスプーチン
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帝政ロシア末期の怪人物。シベリアのチュメニ県ポクロフスコエ村出身の農民。馬泥棒をして村を追放されたのち,修道院を回って宗教家となり,村に戻った。その宗教はフリスト(鞭身派)という新宗派に近い新興宗教で,催眠術もとり入れたようである。1904年ペテルブルグに上り,首都の神学大学校のフェオファンの紹介で,ニコライ大公Nikolai Nikolaevich(1856-1929)の夫人のもとに出入りし,そこから〈神の人〉として皇后アレクサンドラに紹介された。皇太子の血友病におびえる皇后から強い帰依を受け,05年11月1日皇帝ニコライ2世にも会った。このように宮中に出入りしながらも,身持ちが悪く,女信者との怪しげな関係もあったことから,10年に入ると,新聞で批判されるようになったが,皇帝はこの批判を許さず,皇后の支持はさらに強まった。政治に介入するようになったのは,第1次大戦中のことで,皇后とともに,皇帝に対し,最高総司令官ニコライ大公の更迭を働きかけた。この問題をめぐり,皇帝が大臣たちと正面衝突すると,以後皇帝の助言者として圧倒的な影響力をもつにいたった。彼のまわりには,彼の力を利用しようとする人々がいつも現れたが,この時期には特別に多かった。一方,皇后とラスプーチンの関係は愛人関係であり,この二人はドイツと結びついて単独講和を策しているという流言が広まり,皇帝権力の権威を大きく失墜させた。怒った右翼政治家と大貴族ユスポフ公爵によって殺され,死体はネバ川の氷の下に投げこまれた。
執筆者:和田 春樹
ロシアの小説家。シベリアのウスチ・ウダ生れ。イルクーツク大学を卒業後,地方新聞の記者を経て,1961年から短編を発表。66年ルポルタージュ集と短編集《この世の人》を出版したが,本領を発揮したのは中編小説で,《マリアのための金》(1967),《最期》(1970),《マチョーラとの別れ》(1976)などがある。77年には第2次世界大戦中のシベリアの脱走兵とその妻を描いた《生きよ,そして記憶せよ》(1974)により,ソ連邦国家賞を受けた。シュクシーンらとともに〈農村派作家〉の代表であり,シベリアの農村を舞台に,老婆の死やダム建設で水没する村など,じみな題材を,方言や俗諺を織りまぜた独自の豊かな文体で描いている。また自分たちが古来受け継いできたものを未来へ伝えるという姿勢があり,それが素朴な人間愛に基づく深い心理描写や,自然のフォークロア的なとらえ方にも反映している。
執筆者:安岡 治子
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1869~1916
シベリアの農民出身の宗教家。皇太子の血友病に悩んでいたニコライ2世の皇后に大きな影響力を持つに至り,第一次世界大戦中には彼の意見で閣僚も更迭された。帝政の権威復活をめざす右翼議員と皇族に暗殺された。
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…この状況の中で,全工業の動員を主張して軍需生産への参入をめざすモスクワ資本の動きは,戦時工業委員会をつくり出し,国の信任をうる人々よりなる内閣を求める国会多数派〈進歩ブロック〉が形成された。皇帝は皇后とラスプーチンの助言で,敗北の責任者,ロシア軍最高司令官ニコライ大公を解任し,みずからがその後任となった。大臣たちはこれに強く反発し,皇帝と激突した。…
※「ラスプーチン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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