ラウラ(英語表記)Laura

改訂新版 世界大百科事典 「ラウラ」の意味・わかりやすい解説

ラウラ
Laura

ペトラルカ生涯愛し続け,抒情詩集《カンツォニエーレ》のなかでその愛をうたった女性。詩人によれば,1327年4月6日の聖金曜日,アビニョンの聖女クララ教会で初めてその姿を目にし,そして48年の同じ4月6日に天へ昇ったという。ペトラルカが恋愛詩人としてではなく,人文主義の先駆的仕事を果たす倫理哲学者として理解されていた当時においては,親しい友人さえもがその愛の真偽を疑い,ダンテのベアトリーチェにならって,寓意のみを解そうとしたが,詩人は真実の愛であることを力説した。逆に現世的な愛との批判に対しては,中世恋愛詩が追求した,神へ導く気高い愛であると主張した。つまりラウラは,天上と現世とのあいだの,永遠なるものと人間とのあいだの,調和矛盾を同時に体現したが,中世世界の崩壊を鋭敏に感じとっていたペトラルカにとって,ラウラへの愛のほかに神の光を詩的に感受するすべはなかった。
カンツォニエーレ
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のラウラの言及

【イタリア文学】より


[近代の誕生]
 このように,ダンテの文学が本質的に過去への展望をはらんでいたのに対して,ほとんど同時代に生きながら,F.ペトラルカとG.ボッカッチョとは,彼らの文芸思想と文学作品の両面において,イタリア文学を大きく近代へ向かって用意した。ペトラルカは俗事詩抄《カンツォニエーレ》において,ラウラへの〈愛〉を軸に,まさに完璧な抒情詩の世界をつくりあげ,〈ペトラルキズモ〉はその後数百年間にわたって詩史に君臨し,現代詩にいたるまで強い影響を与えている。他方,ボッカッチョは《デカメロン》(〈十日百話〉)を著して,ダンテにならい完全数を守りながらも,物語を逆の方向へ展開させた。…

【カンツォニエーレ】より

…プロバンスに始まる中世俗語詩の伝統を受け継いで〈愛〉を中心主題とする。ダンテが中世キリスト教の統一的世界観に支えられてベアトリーチェのなかに神の愛を見届けたのに対し,ペトラルカは中世秩序が崩壊するなかで辛うじてラウラへの愛を自己の内側に守った。こうしてラウラは詩人の私的世界に生きることとなり,俗界を逃れた孤独な詩人は,つかの間の幻想や追憶のうちに淡くひろがる〈愛〉の光の苦い至福に浸る。…

【ペトラルカ】より

…父親の意志に従って16年からモンペリエに,つづいて20年からはボローニャに留学して法律を学んだが,26年父親の死を機にアビニョンへ帰ると,迷うことなく念願の文学の道へ進んだ。そして翌27年4月6日の聖金曜日,聖クララ教会で,生涯にわたって詩的霊感の源泉となる女性ラウラを見,決定的な愛にとらえられた。愛の光と闇をうたう《カンツォニエーレ》の抒情詩人がこうして誕生した。…

※「ラウラ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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