ヨークシャー(イギリス)(読み)よーくしゃー(英語表記)Yorkshire

翻訳|Yorkshire

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

ヨークシャー(イギリス)
よーくしゃー
Yorkshire

イギリス、イングランド北東部の旧県(旧カウンティ)。この地方全体の呼称として今日も使用される。1974年ハンバーサイド、ノースヨークシャーウェストヨークシャー、サウス・ヨークシャー、クリーブランドの5県に再編されたが、96年ハンバーサイド、クリーブランドの2県は廃止された。旧ヨークシャー県の面積は1万6003平方キロメートル。旧県時代も、知事は1人であったが行政はヨーク市と三つのライディングridingという単位に分割され、ノース(北)・ライディング、イースト(東)・ライディング、ウェスト(西)・ライディングの3区が設けられていた。3区の合計面積は1万5794平方キロメートルであった。県域は北をティーズ川、南をハンバー川、東を北海、西をペニン山脈で限られ、イギリスでもっとも広い県であった。産業革命期には西に隣接するランカシャー地方とともに工業地帯として発展し、ランカシャーの綿織物工業に対して毛織物工業で知られた。ヨークシャー炭田があり、北東部のティーズ川下流域には鉄鋼を主とする工業地帯も形成されている。農業では酪農、牧羊、混合農業が行われ、ブタヨークシャー種は当地方の原産である。中心都市はヨーク。ほかにリーズシェフィールドブラッドフォードミドルズブラなどの都市がある。

[久保田武]

歴史

紀元1世紀後半に古代ローマ人が侵入し、エボラクム(現ヨーク)の町に駐屯した。しかし5世紀に入るとローマ支配は終わり、7世紀初頭までにアングロ・サクソン人のヘプターキー(七王国)の一つ、ノーサンブリアの支配下に入った。627年、ノーサンブリアの王エドウィンはキリスト教に改宗し、それ以後ヨークは大司教座都市として発展、8世紀にはヨーロッパ文化の一中心となった。9世紀以降、この地域はデーン人の支配・影響の下に置かれ、そのことは多くの地名が北欧起源であることからもわかる。ヨークシャーの北、東、西の三分制度もこの時期からのものである。

 ノルマン・コンクェストの直後にウィリアム1世(征服王)に対する反乱が起こり、1069年にこの地域は徹底的に鎮定された。この結果、有力なノルマン貴族が勢力を築き、北のスコットランドに対する防衛拠点として重きをなした。1536年、「恩寵(おんちょう)の巡礼」の反乱の舞台となり、以後、常設の北部地方評議会がヨークに置かれて、この地域は北部イングランドの中心となった。ピューリタン革命(1640~60)では最初王党派が有力であったが、1644年のマーストン・ムアの戦いで北部の王党派勢力は壊滅した。革命後、ヨークシャーはイングランド最大の県として重んじられたものの、かつてのような政治的重要性は失った。しかし中世末以来この地域で展開した羊毛工業は、近代イギリス経済の重要な一翼を担い、産業革命期にはリーズ、シェフィールドなど工業都市の成長が県西部にみられた。

[青木 康]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android