ユーリー(読み)ゆーりー(英語表記)Harold Clayton Urey

デジタル大辞泉 「ユーリー」の意味・読み・例文・類語

ユーリー(Harold Clayton Urey)

[1893~1981]米国の化学者。重水分離し、水素同位体重水素発見。第二次大戦中は原爆製造に参加し、戦後は平和運動推進。1934年ノーベル化学賞受賞。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユーリー」の意味・わかりやすい解説

ユーリー
ゆーりー
Harold Clayton Urey
(1893―1981)

アメリカの物理化学者。4月29日インディアナ州ウォーカートンに生まれる。モンタナ大学で動物学を学ぶ。第一次世界大戦中は徴用先のバレット・ケミカル社でTNT火薬生産用トルエンの製造に従事。終戦後モンタナ大学で2年間生物学を教え、1921年カリフォルニア大学化学科大学院に入学、ルイスに学ぶ。1923年学位取得後、留学先のコペンハーゲン大学ボーアに原子物理学、量子力学を学んだ。帰国後、ジョンズ・ホプキンズ大学準教授(1924)、コロンビア大学準教授(1929)、同大学教授(1934)を経て、1945年シカゴ大学教授となる。1923~1929年の間に原子構造と分光学に関する20編の科学論文を発表し物理化学者としての立場を揺るぎないものとした。1932年重水を分離し重水素を発見、この業績によって1934年ノーベル化学賞を受けた。第二次世界大戦中は、重水の製造、ウラン235(広島投下の原爆に使用)の生産の指導者として原爆製造(マンハッタン計画)に参加した。

 戦後、広島における惨禍を知り、原子エネルギーの国際管理の提唱、大西洋連邦運動の推進、マッカーシー旋風の不正に反対する運動の支持などを行った。1950年ごろから宇宙化学分野に転じ、同位体効果による古代温度測定、天体の成因や地球起源などに関する研究を行った。1933~1940年『Journal of Chemical Physics』誌の編集者。1月5日カリフォルニア州サンディエゴの自宅で死去した。

[大友詔雄 2018年12月13日]

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改訂新版 世界大百科事典 「ユーリー」の意味・わかりやすい解説

ユーリー
Harold Clayton Urey
生没年:1893-1981

アメリカの化学者。インディアナ州ウォーカートンの生れ。モンタナ大学で動物学を学び,のち化学に転じて卒業後一時化学会社に勤めた後,1919年モンタナ大学の化学の講師となった。さらにカリフォルニア大学のG.N.ルイスに学び,23年学位を得た後コペンハーゲンに留学し,N.H.D.ボーアのもとで学んだ。帰国後ジョンズ・ホプキンズ大学をへて,29年コロンビア大学準教授,34年教授となった。31年にはマーフィG.M.Murphy,ブリックウェッドF.G.Brickweddeとともに重水素を分光学的に確認し,また初めて重水を分離した。その功績によって34年ノーベル化学賞を受賞した。その後も多くの同位元素を分離し,また同位元素を含む物質の分光学的なデータにもとづく熱力学的な研究を行った。第2次大戦中はマンハッタン計画に参加し,コロンビア大学でSAM(Substitute Alloy Material)研究所所長として,重水やウラン,ホウ素などの放射性同位元素の分離に取り組み,原子爆弾の製造に寄与した。戦後シカゴ大学,カリフォルニア大学の教授を歴任した。その間,酸素の同位元素比を用いる古代温度測定法の確立や,ミラーS.L.Millerと共同で行った原始地球の還元的大気中での生命物質の発生に関する実験的研究は有名である。ほかにも地球や月など太陽系惑星の生成に関する研究をひろく取り扱い,発展させた。科学アカデミー宇宙科学局の一員でもあった。
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化学辞典 第2版 「ユーリー」の解説

ユーリー
ユーリー
Urey, Harold Clayton

アメリカの化学者.モンタナ州立大学で動物学を学び,1917年卒業後,爆発物への興味を通じて化学に転じ,1923年カリフォルニア大学でG.N. Lewis(ルイス)のもとでPh.D.を取得.1929年コロンビア大学助教授,1934年同教授となる.1931年重水素の研究をはじめ,液体水素の分留によって重水素を濃縮し,その存在を分光学的に証明した.また,水の電気分解に長時間使用したアルカリ水溶液母液中の水の密度が普通の水より高いことを見いだし(1932年),重水製造法の端緒をひらいた.これらの業績により,1934年ノーベル化学賞を受賞.1936年以降には同位元素交換反応を利用した同位元素濃縮法により,13C,15Nなどを分離し,第二次世界大戦中には原爆製造のための235Uの濃縮計画にも参画した.1945年シカゴ大学教授,1958年カリフォルニア大学教授となる.戦後は地球化学的研究に興味をもち,貝殻中の酸素の同位元素組成の微小な差から,太古以来の地球の温度変化を推定した.また,惑星の生成機構や太古の地球の大気組成(H2,NH3CH4,が主)についての説を発表した.

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユーリー」の意味・わかりやすい解説

ユーリー
Urey, Harold Clayton

[生]1893.4.29. インディアナ,ウォーカートン
[没]1981.1.5. サンディエゴ
アメリカの物理化学者。モンタナ大学で動物学,カリフォルニア大学で化学を学び,モンタナ大学講師 (1919~21) を経てコペンハーゲンに留学 (23) ,N.ボーアのもとで研究。帰国後ジョンズ・ホプキンズ大学助教授 (24) ,コロンビア大学准教授 (29) ,同教授 (34) ,シカゴ大学教授 (45) ,カリフォルニア大学教授 (58) を歴任。 1931年の重水の分離および重水素の発見を手始めに,炭素,酸素,窒素,硫黄の放射性同位体の分離と化学的性質の研究を行なった。第2次世界大戦中は「マンハッタン計画」に加わり,ウラン 235の分離に指導的役割を演じた。戦後は平和運動に転じ,同位体を用いた地球の古代温度測定や原始大気の組成の研究など,地球や惑星の起原に関する宇宙化学的分野で活躍。 34年ノーベル化学賞受賞。主著『惑星,その起原と発展』 The Planets: Their Origin and Development (52) 。

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百科事典マイペディア 「ユーリー」の意味・わかりやすい解説

ユーリー

米国の化学者。初めモンタナ大学で動物学を修め,のち化学に転じ,1921年カリフォルニア大学に入りG.N.ルイスに学び,1923年コペンハーゲンに留学しボーアに師事。1934年コロンビア大学,1945年シカゴ大学,1958年カリフォルニア大学各教授。1932年重水素を分光学的に確認,次いでその分離に成功し,1934年ノーベル化学賞。第2次大戦中は重水の製造やウラン235の分離を指導し原爆製造に寄与。1950年ころからは,天体・宇宙の化学研究を開始,原始地球大気を模した気体からアミノ酸合成に成功したユーリー=ミラーの実験(1953年)は化学進化研究の嚆矢となった。

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世界大百科事典(旧版)内のユーリーの言及

【タタールのくびき】より

… 旅程のきびしさと風俗習慣のちがいにより,伺候中または途中で病死したり(初めの100年間に6人),意図的に処刑,殺害されたり(10人以上)したロシア諸公も,14世紀にはむしろ,ロシア支配層の勢力削減をはかるハーンの介入政策を逆手にとって,諸公国・ハーン国間の複雑な対立と同盟関係のなかで自己の地位の強化をはかっていく。たとえば,モスクワ公ユーリーは,中傷によってトベーリ公ミハイルをハーン国で刑死させるが,自分もまたミハイルの息子に復讐されて,1325年ハーンの宮廷で落命する。まもなくトベーリ公国に反モンゴル的な民衆蜂起が起こると,ハーンの命令に応じてタタールの大軍とともにトベーリに侵入し,これを徹底的に弾圧したのは,ユーリーの弟でモスクワ公のイワン・カリタ(1世)であり,彼はその翌年,ハーンからウラジーミル大公位を許される。…

※「ユーリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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