ユリウス暦
ゆりうすれき
太陽暦の一つ。古代ローマのユリウス・カエサルは、紀元前46年、天文学者ソシゲネスSosigenesの助言を得て、エジプト暦に倣って、1年の日数が365.25日、暦年365日、4年に1回366日の閏(うるう)年を置く太陽暦を制定したが、形式はローマ暦に従った。ローマ暦は元来、時に応じて閏月を挿入する太陰暦法であるが、当時、季節とのずれが約3か月あり、カエサルは改暦に際し、当然置くべき閏月のほか、2か月の閏月を置き、したがってこの年だけは1年が445日となり、これを攪乱の年(かくらんのとし)とよぶ。ローマ暦の年首の月はマルチウスMartiusであったが、カエサルはローマ暦第11月のヤヌアリウスJanuariusを年首の月とし、閏日は第2月のフェブラリウスFebruariusに置き、またローマ暦第5月のキンチリスQuintilisを自らの名ユリウスに改めたという。この暦法は前45年から施行されたが、その後、置閏(ちじゅん)を誤り、前42~前9年は3年ごとに閏日を置いたため3日の狂いを生じた。カエサルの後継者アウグストゥスは前6年から紀元4年まで閏日を置かず、8年から4年ごとに閏日を置いた。そして第8月セキスチリスSextilisを自らの名からアウグストと改めるとともに、第2月から1日を第8月に移して31日とした。このため、第7・8・9月と大月が3回続くこととなったので、第9月以降、12月までの日数を入れ換えたという。これをユリウス暦と称する。
[渡辺敏夫]
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ユリウス暦
ユリウスれき
Julian calendar
前 46年にローマのユリウス・カエサルが制定した暦。太陰太陽暦に代ってエジプト暦の1年 (365.25日) を採用し,平年を 365日,閏年を 366日として,4年ごとに1回の割合で閏年をおく太陽暦を採用した。さらにローマ暦の 11月 (ジャヌアリウス) ,12月 (フェブルアリウス) をそれぞれユリウス暦の1月,2月としたので,マルチウスからデセンベルまでの 10ヵ月は2ヵ月ずつ繰下げられた。また1ヵ月の長さも原則的に奇数の月は 31日,偶数の月は 30日と定め,平年の2月に限り 29日とした。その後4年に1回の置閏をまちがえて3年に1回おいたため暦日が3日遅れた。これを直すためローマ皇帝アウグスツスは前8年から後4年までの置閏を禁じ,8年に閏年を復活した。この改正を記念して,当時の8月にあたるセックスティリスの月をアウグスツスの月と改め,2月から1日削って8月を 31日とした。そのうえ9月を 30日,10月を 31日,11月を 30日,12月を 31日に改めた。これが月の長さのふぞろいの名残りである。ユリウス暦は 1582年グレゴリオ暦の改正まで続いた。
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ユリウス暦【ユリウスれき】
ローマのユリウス・カエサルがエジプト暦をもとにソシゲネスを顧問として制定,前46年から実施した太陽暦。一年を365日とし,4年ごとに閏(うるう)年(366日)をおく。ローマ暦の月名をとり,一年が3月から始まっていたのを1月からに改めたが,のち7,8月はユリウス,アウグストゥスにちなんで改称。月名と順序,日数は現行グレゴリオ暦とかわらない。1582年のグレゴリオ暦制定まで広く用いられた。→改暦
→関連項目閏年|正月|太陽暦|ユリウス日
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ユリウス暦
ユリウスれき
Julius Calendar
ユリウス=カエサルが制定した太陽暦
前45年にエジプトの太陽暦を導入して制定。1582年に教皇グレゴリウス13世が改定するまで用いられた。なお,ロシアではその後も1917年のロシア革命のときまで使用された。
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デジタル大辞泉
「ユリウス暦」の意味・読み・例文・類語
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ユリウス‐れき【ユリウス暦】
〘名〙 平年を三六五日とし、四年に一度、三六六日の閏年をおく暦法。紀元前四六年、ローマの
ガイウス=ユリウス=カエサルがソシゲネスに命じて作らせたもの。旧太陽暦。
ジュリアン暦。
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占い用語集
「ユリウス暦」の解説
ユリウス暦
太陽暦の一つ。約4年に一度の閏年によって誤差が調整される。ローマ時代のユリウス・カエサルが天文学者に命じて作らせ、紀元前45年から施行された。
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ユリウスれき【ユリウス暦 Julian calendar】
ユリウス・カエサルJulius Caesarによって制定され,前45年より実施された太陽暦。法令により閏(うるう)年を規定した最初の暦法で平年を365日,4年に1回の閏年には2月に1日加えて366日とした。しかし,この置閏(ちじゆん)法も最初のうち司暦の僧官に誤解されたため,前9年までは3年ごとに閏が置かれたので,アウグストゥスは前8年より4年まで置閏を禁じた。8年以後はずっと正しく置かれている。ローマではそれまでローマ暦という不完全な太陰太陽暦が用いられており,いまの3月に当たるマルティウス月(英語名March)が年初であった。
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世界大百科事典内のユリウス暦の言及
【カエサル】より
…ポー川以北・アルプス以南のガリアのラテン市にローマ市民権を与え,自治市の基準を示す法律を定め,元老院の議席をふやして広い層の人を登用した。また前45年1月1日から太陽暦(ユリウス暦)を採用している。しかし,権力・栄誉を一身に集中したため,共和政護持派のブルトゥス,カッシウスらに前44年3月15日,元老院議場で暗殺された。…
【暦】より
…この年のことを後世乱年と呼んでいる。ローマ暦ではMartius(英語March)が年初であったが,採用した太陽暦(ユリウス暦)ではJanuarius(英語January)が年初になった。現在の英語の月名は多くローマ暦時代のものであるが,Quintilis(5番目という数詞)月についてはカエサルの名まえにちなんでJulius(英語July)と改称され,次いでSextilis(6番目という数詞)月は皇帝アウグストゥスを記念してAugustus(英語August)と改められた。…
【天文学】より
…このシリウスの観測によって1年の長さが知られ,またナイル川の洪水が農業に大きな影響をもったところから,エジプトは早くから〈365日〉をもって1年とする太陽暦が採用され,前1世紀には4年ごとに1日の閏日を挿入する方法が始められ,これがローマのユリウス・カエサルの手でローマの公暦となった。これがユリウス暦であり,1582年までヨーロッパにおいて使用された。 ギリシアの天文学がこうしてバビロニアとエジプトとの天文学を受けついで形成されていった。…
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