ユナイテッド航空(読み)ゆないてっどこうくう(英語表記)United Airlines

翻訳|United Airlines

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ユナイテッド航空」の意味・わかりやすい解説

ユナイテッド航空
ゆないてっどこうくう
United Airlines

アメリカの航空会社。略称UA。1969年、持株会社のUnited Air Lines, Inc.(略称UAL)が設立され、ユナイテッド航空はその100%子会社となる。1990年代以降、格安運賃をめぐる新興航空会社との競争、長引く不況と2001年の同時多発テロ後の利用者減などが重なって、UALは経営危機に陥り、2002年12月連邦破産法11条(日本の会社更生法に相当)の申請手続を行った。負債総額は228億ドルで、これは当時のアメリカ航空史上最大であったが、2006年に経営再建された。

 歴史は古く、1926年に設立されたワシントン州パスコとネバダ州エルコとを結ぶバーニー航空がユナイテッド航空の始まりである。1931年バーニー航空を中心に、パシフィック・エア・トランスポートボーイング・エア・トランスポート、ナショナル・エア・トランスポートを含めた4社の経営を統括する会社としてユナイテッド航空(UA)が発足した。同社は第二次世界大戦後、民間航空の需要増大に伴い、保有機の増強、路線網の拡大を果たし、1961年にキャピタル航空と合併して世界最大の民間航空会社となった。1969年持株会社UALを設立し、傘下子会社となる。

 1980年代には、拠点空港を中心として各地に放射状に路線を運航する「ハブアンドスポーク」とよばれるシステムを導入して、急成長した。1983年、同社の路線網に東京を含む24空港が新たに追加され、1985年にはパン・アメリカン航空の太平洋路線を取得した。1997年5月、ルフトハンザ・ドイツ航空スカンジナビア航空、エア・カナダタイ国際航空との航空連合スターアライアンスを結成し、施設・技術の共有、共同購入などによるコスト削減を目ざすことになった。また、UALはターボプロップ機を運航するユナイテッド・エキスプレス社、ユナイテッド・シャトル社による短距離便の運航も行っている。

 一方、UALは関連事業の多角化も進め、1970年にウェスタン・インターナショナル・ホテル(1981年ウェスティン・ホテルに改称)を買収した後、1985年にレンタカー会社のハーツThe Hertz Corp.を買収。1987年2月、UALは旅行サービスの総合会社として社名をアリージスAllegis Corp.に改称した。しかし1987年6月、非航空事業部門を売却する方針転換を発表し、翌1988年1月にはホテルとレンタカー部門の売却を完了した。そして、1988年5月ユナイテッド航空(UA)のみを系列会社に残して、United Air Lines Corporation(略称UAL)の社名に変更した。1994年7月、従業員大半が持株会に入り、従業員参加型の経営に踏み出した。2000年にはUAL普通株の過半数が従業員の保有となった。ところが、大幅賃下げなどのリストラ実施をめぐっては従業員参加型の経営が裏目となった。また新興航空会社が徹底的にコストを削減したうえ、路線数を絞った都市間直行便を売り物に参入したのに対して、全米に路線を張り巡らせたハブアンドスポーク方式はコスト面で不利となった。さらにビジネス客の需要減少も手痛い要因となって、2001年には21億4500万ドルの最終赤字を計上。硬直的なコスト構造を抱えたままUALは経営破綻(はたん)に至った。

[萩原伸次郎]

その後の動き

経営再建は燃費高騰や競争激化で遅れていたが、2006年に連邦破産法11条の適用が解除となり、経営再建が完了し、アメリカから中国への最大のキャリアーとなった。2009年度の売上高は163億3500万ドルであった。

 2010年10月にコンチネンタル航空と合併し、航空会社名は改称せずにユナイテッド航空として存続。新会社の持株会社として、ユナイテッド・コンチネンタル・ホールディングスUnited Continental Holdings, Inc.(略称UCH)を設立し、経営統合している。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ユナイテッド航空」の意味・わかりやすい解説

ユナイテッド航空
ユナイテッドこうくう
United Airlines

アメリカ合衆国の大手航空会社。航空機メーカーのボーイングを創設したウィリアム・E.ボーイングが,その協力者とともに 1929年ユナイテッド・エアクラフト・トランスポートを設立,航空機の製造と輸送の両事業を開始した。しかし製造と輸送の両方をもつのはコングロマリットとして大きすぎるという議会の圧力をうけ,1934年二つの事業を分離。このうち輸送事業はいくつかの航空会社を合併し,ユナイテッド航空として再発足した。なお分離前の 1930年世界で初めて女性の客室乗務員を採用し,新しい女性の職場を開いた。新会社はシカゴのオヘア国際空港を中心にアメリカ大陸横断路線などアメリカ最大の路線網を築き上げるとともに,1985年からアジアへも路線を広げ,1990年ヨーロッパ,1991年南アメリカへと国際線を拡大した。2010年にはコンチネンタル航空と合併し,寄港地も 370ヵ所となって世界最大級の路線規模を誇る。2011年初現在,国内 100都市,国外 40都市に乗り入れ,さらに地域航空 6社がユナイテッド・エクスプレスの呼称で国内およびカナダの 150ヵ所に飛んでいる。この間,1994年には従業員の持株比率が 55%をこえて会社の支配権を握ったり,2001年のアメリカ同時テロ後の経済不況などで経営不振に陥ったが,2002年連邦破産法11条による保護を申請,路線網の縮小,従業員の削減などで,2006年経営の立て直しに成功した。2011年初時点の保有機は 350機以上。

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