モーリー=ミントー改革(読み)モーリーミントーかいかく

改訂新版 世界大百科事典 「モーリー=ミントー改革」の意味・わかりやすい解説

モーリー=ミントー改革 (モーリーミントーかいかく)

1905-08年のベンガル分割反対を契機とするインドの民族運動の高まりに対処するため,09年にインド統治の手直しをうたって,イギリスのインド大臣モーリーJohn Morleyとインド総督ミントーが共同して実施した政治改革。1892年のインド参事会法に対する改訂であるが,インド総督の行政参事会(内閣に相当)にインド人1名(この時はS.P.シンハ)を加え,また中央と州の立法参事会の構成・機能に一定の改善を加えることを内容としていた。しかし総督を頂点とし高級官僚で占められる中央行政部の絶対的権限にはなんらの手も加えられず,またインド人が一定程度参加する立法部の実質的権限拡大はなかった。注意すべきは,部分的に導入された選挙制度がムスリムに対する分離選挙区を設定している点で,これは1906年にミントーがてこ入れしたムスリム連盟結成とともに,国民会議派牽制の一環であり,インド政治機構に宗教に基づく民族分断を持ち込む端緒となる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モーリー=ミントー改革」の意味・わかりやすい解説

モーリー=ミントー改革
モーリー=ミントーかいかく
Morley-Minto Reforms

1909年のインド参事会法を基本として施行されたイギリスのインド統治の改革の通称インド担当国務大臣 J.モーリーとインド総督ミントー (伯)によりなされた。この改革により中央,地方の各立法参事会委員の増員,立法参事会における決議権や質疑権などが認められたが,決議しても行政府はこれに拘束されず,質疑しても行政官は答弁する義務がなかった。さらに委員選出に一部選挙制を採用したが,これもきわめて限られたものであり,特にイスラム教徒に有利な選挙制度であった。これらの政策は,ベンガル分割以後に激しくなった民族運動の分裂を策したイギリスの伝統的な「分割統治」の原則によるものであった。

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世界大百科事典(旧版)内のモーリー=ミントー改革の言及

【インド統治法】より

…1892年法でもこの状態は変わらなかったが,各参事会で予算に関する討議と質問が許されるようになった。1909年法,つまりモーリー=ミントー改革によって初めて中央と州の両方で行政参事会と立法参事会が分離され,立法参事会で部分的に選挙制度が導入されたうえに予算以外の重要問題についても決議案の提出や質問が認められた。このときに導入された選挙制度は少数派であるムスリムに配慮した分離選挙制度である。…

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