ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「モンロー」の意味・わかりやすい解説
モンロー
Monroe, James
[没]1831.7.4. ニューヨーク,ニューヨーク
アメリカの政治家,外交官。第5代大統領 (在任 1817~25) 。 1776年学業を中断してアメリカ独立戦争に参加。 80年より T.ジェファーソンのもとで法律を学んだ。 82年バージニア邦議会議員,83~86年大陸会議代表となり,州権を主張して連邦憲法制定には反対票を投じた。 90~94年連邦上院議員,94~96年フランス駐在公使,99~1802年バージニア州知事。 02年特命全権公使としてフランスに渡り,ルイジアナ買収に成功。 03~07年イギリス駐在公使。 11~17年 J.マジソン大統領の国務長官をつとめ,アメリカ=イギリス戦争 (12) では開戦を主張し,14~15年陸軍長官を兼任。 16年大統領に選出された。当選後リパブリカンズ (共和派) 1党支配のいわゆる「グッド・フィーリング時代」を迎え政党的対立はなく,20年にも容易に再選された。おりしもアメリカは一大飛躍期を迎え西部への発展もめざましいものがあったが,彼のおもな業績はフロリダ買収などの外交面にあり,23年 12月有名なモンロー主義を発表して,アメリカの伝統的外交政策の基礎をつくった。
モンロー
Monroe, Marilyn
[没]1962.8.5. ロサンゼルス
マリリン・モンロー。アメリカ合衆国の映画女優。原名 Norma Jeane Mortenson,その後,母の姓 Bakerを名のり,Norma Jean Baker(Jeanは Jeaneと綴られることもある)となる。1950年代に数々の商業的成功を収めた映画に出演し,セックスシンボルとも称され,ハリウッド映画界の大スターとなった。
1942年,16歳で結婚し,まもなく離婚。写真のモデルなどで人気を得て,1946年に映画会社の 20世紀フォックスと契約,芸名をマリリン・モンローとする。ジョン・ヒューストン監督の『アスファルト・ジャングル』(1950),ジョゼフ・マンキウィッツ監督の『イヴの総て』(1950)などで認められ,ヘンリー・ハサウェー監督の『ナイアガラ』(1953)で披露した「モンロー・ウォーク」で人気を博する。大リーガーのジョー・ディマジオ,劇作家のアーサー・ミラーとの結婚・離婚を繰り返し,1962年8月5日,自宅で死亡しているところを発見された。死因については,自殺あるいは事故死,他殺とさまざまに取りざたされ,いまなお多くの謎を残している。おもな作品に,『紳士は金髪がお好き』(1953),『百万長者と結婚する方法』(1953),『帰らざる河』(1954),『ショウほど素敵な商売はない』(1954),『七年目の浮気』(1955),『バス停留所』(1956),『王子と踊子』(1957),『お熱いのがお好き』(1959),『荒馬と女』(1961)などがある。
モンロー
Monroe, Harriet
[没]1936.9.26. ペルー,アレキパ
アメリカの女流詩人,編集者。シカゴで新聞の劇評や美術批評に従事するかたわら詩作,1912年『ポエトリー』 Poetry誌を創刊,35年まで主宰して,T.S.エリオット,サンドバーグ,V.リンゼー,パウンドなど実験的な詩人の紹介に努め,新詩運動に貢献するとともに,第1次世界大戦前後のいわゆる「シカゴ・ルネサンス」の中心として活躍。主著,詩集『バリーリア』 Valeria and Other Poems (1892) ,『あなたと私』 You and I (1914) ,『詩選集』 Chosen Poems (35) ,評論集『詩人とその芸術』 Poets and Their Art (26,新版 32) 。そのほか詩劇集,自伝『ある詩人の生涯』A Poet's Life (38) がある。
モンロー
Monroe, Paul
[没]1947.12.6. ニューヨーク
アメリカの教育学者,教育史学者。フランクリン大学,シカゴ大学,ハイデルベルク大学で学び,1902年コロンビア大学教授,15年同大学学長,21年付属国際研究所所長をつとめ,37年東京で開催された第7回世界教育会議の議長をつとめた。『教育百科事典』 Cyclopaedia of Education (5巻,1910~13) を編纂したほか,『教育史教科書』A Textbook in the History of Education (05) ,『アメリカ公立学校制度の形成』 Founding of the American Public School System (40) などの著書がある。
モンロー
Monro, Alexander Tertius
[没]1859.3.10. クレーグロックハート
イギリスの医師。 A.P.モンローの孫で A.S.モンローの子。 1797年エディンバラ大学で学位を取得,ロンドン,パリに遊学後,エディンバラに帰って同大学に勤め,父と共同講座を担当したが,父の病後もその講座を担当,1817年に専任教授となり,46年引退した。祖父や父のような医学上の業績は残さずに終った。
モンロー
Monro, Harold
[没]1932.3.16. ロンドン
イギリスの詩人。ケンブリッジ大学卒業。『全詩集』 Collected Poems (1933) は T.S.エリオットの序文つきで出版されたが,詩人としてよりも雑誌『ポエトリー・レビュー』 (12) や書店 Poetry Bookshop (13~32) の創設者として重要。後者はイマジズムなど現代詩を育てる母体となった。
モンロー
Monro, Alexander Primus
[没]1767.7.10. エディンバラ
イギリスの医師。ライデン大学で教えていた H.ブールハーフェの門下で,解剖学者であり外科医。 1720~64年,新設のエディンバラ大学医学部の解剖学および外科の初代教授。黄疸が胆管の閉塞によって起ることを証明し,多くの外科処置用具を創案するほか,骨の解剖などに業績を残している。
モンロー
Monro, Alexander Secundus
[没]1817.10.2. エディンバラ
イギリスの解剖学者。 A.P.モンローの子。 1759~1808年,エディンバラ大学解剖学教授。父にまさる教師で学者であった。粘液嚢について業績を残しているほか,脳室間孔にモンロー孔 M.'s foramen,視床下溝にモンロー溝 M.'s sulcusの名を残している。
モンロー
Monroe
モンロー
Monroe
モンロー
Monro, Thomas
[没]1833.5.15.
イギリスの医師,画家。ロンドンの開業医であったが,J.ジャポルトの弟子として,ゲインズバラ風の絵を描き,風俗画家,美術家のパトロンとして知られた。
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