モルガン
[一] (John Pierpont Morgan ジョン=ピアポント━) アメリカの実業家。金融・鉄道・鉄鋼事業に携わり、特に
南北戦争で巨利を得、
モルガン財閥をつくりあげた。(
一八三七‐一九一三)
[二] (Thomas Hunt Morgan トマス=ハント━) アメリカの遺伝学者。
ショウジョウバエの遺伝を研究して、
遺伝子説を確立した。一九三三年ノーベル生理学・医学賞受賞。著「発生学と遺伝学」。(
一八六六‐一九四五)
[三] (Lewis Henry Morgan ルイス=
ヘンリー━) アメリカの文化人類学者。アメリカ‐
インディアンの社会を研究し、進化論の立場に立って、
原始社会の発展を体系づけた。主著「
古代社会」は、
エンゲルスなどに大きな影響を与えた。(
一八一八‐八一)
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デジタル大辞泉
「モルガン」の意味・読み・例文・類語
モルガン(John Pierpont Morgan)
[1837~1913]米国の実業家・金融資本家。モルガン商会を興し、鉄鋼・鉄道をはじめ諸産業を支配する財閥を築いた。モーガン。
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モルガン
Jacques de Morgan
生没年:1857-1924
フランスの考古学者。西アジアにおける先史文化の存在とその編年の大綱を明らかにした。中部フランスに生まれてパリの鉱山学校で学び,探鉱者としてマラッカなどを調査してのち,カフカスやイランの科学調査を指揮して1892年にエジプト古物局長官に任命され,97年まで多くの遺跡を発掘した。とくに重要なのは,ナカダNaqadaで第1王朝のマスタバを発見し,その構造と大きさを正確に示したことである。97年イランに渡ってスーサの層位的発掘を始めるとともに,調査年度ごとに刊行される概報と,遺跡や問題ごとの詳細な検討を加えた内容の本報告を出版して,バビロニアにおいて層位的発掘が始まる1930年ころまで,メソポタミア先史時代の編年に基準を提供した。この功績によって,レジヨン・ドヌール勲章などを授与された。また該博な知識を基礎に先史時代あるいは文明の起源に関する概説書や方法論についての書物も刊行して考古学界に大きく寄与した。なかでも,その提唱は古いけれどもなお不明確であった中石器時代の概念を人類文化史の中に定着させた功績は,スーサ発掘のそれに優るとも劣らないものである。
執筆者:小野山 節
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モルガン
Morgan, J(ohn) P(ierpont)
[生]1837.4.17. アメリカ合衆国,コネティカット,ハートフォード
[没]1913.3.31. イタリア,ローマ
アメリカ合衆国の大金融資本家。ドイツのゲッティンゲン大学で学び,1857年ニューヨークのダンカン・シャーマン商会に入社,1960~64年父 J.S.モルガンがパートナーだったジョージ・ピーボディ商会と,それを引き継いだ J.S.モルガン商会(ロンドン)のニューヨーク代理人として金融界で活躍。1871年ドレクセル・モルガン商会のパートナー,1895年同商会を傘下に収めて J.P.モルガン商会を創設。投資銀行家として合衆国政府債の引受業務,アメリカ鉄道界の再編成と安定化,ユナイテッド・ステーツ・スチール,ゼネラル・エレクトリック,インターナショナル・ハーベスターなどの巨大会社の実現に成功,アメリカ金融界の中心人物,経済力集中のシンボルとなった。1912年にはアメリカの主要 47会社の 72の重役の椅子をモルガン商会のパートナー 11人が占め,モルガン財閥を形成した。病院,教会,図書館,美術館にも莫大な金を寄付した。
モルガン
Morgan, Claude
[生]1898.1.29. パリ
[没]1980.11.12. オルレアン,ロアール
フランスの小説家,ジャーナリスト。対独レジスタンス運動から文学の世界に入った。『レットル・フランセーズ』 Les Lettres françaises紙の創刊に尽力,のち編集長をつとめた。「深夜叢書」の1冊として出した『人間のしるし』 La Marque de l'homme (1944) をはじめ,『羅針盤のない旅行者』 Le Voyageur sans boussole (51) など。
モルガン
Morgan, Michèle
[生]1920.2.29. ヌイイシュルセーヌ
[没]2016.12.20. ムードン
フランスの映画女優。マルセル・カルネ監督の『霧の波止場』(1938)でジャン・ギャバンと共演,一躍名が知られた。1946年,アンドレ・ジッドの小説を原作とした『田園交響楽』で盲目の主人公を演じ,第1回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞した。1969年レジオン・ドヌール勲章を受章。
モルガン
Morgan, Jacques de
[生]1857.6.3. ロアールエシェール
[没]1924.6.12. マルセイユ
フランスの考古学者。オリエント先史考古学の先駆者。メンフィス (エジプト) で遺跡調査を行い,スーサ遺跡 (イラン) ではハンムラビ法典碑文やエラム史料を発掘した。主著『オリエント先史考古学』 La Préhistoire orientale (3巻,1925~27) 。
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モルガン
フランスの考古学者。地質学を学んだのち考古学に転じ,エジプトで石器時代,王朝時代を研究。1897年―1900年フランスのペルシア考古学調査団長としてスーサの発掘を指揮,この時ハンムラピ法典を発見した。また,1909年,旧石器時代と新石器時代の中間に中石器時代という明確な時代概念を提唱したことでも知られる。主著《オリエントの先史》《先史時代の人間》。
→関連項目カンピニー文化
モルガン
英国の小説家。海軍に入り第1次大戦で捕虜になる。大学卒業後タイムズ社に入社。批評集《鏡にうつる姿》(1929年)と戦争体験をもとにした小説《泉》(1932年)によって認められた。以後《スパーケンブルック》(1936年)ほかの小説,戯曲《日取りレンズ》(1953年),評論集《精神の自由》(1951年)など。
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世界大百科事典(旧版)内のモルガンの言及
【中石器時代】より
…1865年にJ.ラボックが,旧石器時代と新石器時代の2時期に石器時代を細分したのち,翌66年にウェストロップH.Westroppが小型の打製石器の時代として,中石器時代を加えたのが最初である。その後,モルガンJ.de Morganによって,明確な時代概念が与えられた。典型的な形でみられるのはヨーロッパとオリエント地域であるが,世界的な石器の小型化や水産資源の利用の拡大を一つの流れとみなし,必ずしも同一の内容をもつわけではないが,中石器時代という区分がその他の地域でも用いられている。…
※「モルガン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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